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その後の『薔薇族』伊藤文學さん(2024年12月17日)

伊藤文學(いとう・ぶんがく)さんに会いにいってきた。
男性同性愛者向け雑誌『薔薇族』の創刊編集長である文學さんも、もう92歳。公の場に姿を現したのは2024年4月の映画『94歳のゲイ』舞台あいさつが最後だろう。文學さんは現在、都内の施設で暮らされている。

結論からいえば、文學さんはお元気だ。足腰こそ弱っているようだが相変わらずおしゃべりが好きで、「痛いところなどひとつもない」という。前回お会いしたのが、おそらく2022年の春。やせ細っていたらショックだな……と考えていたが、体格もほとんど変わりない。

施設の方の案内で居室を訪ねると、ベッドで横になっていた文學さんはすぐこちらに気づいてくれた。「ボクのこと、おぼえていますか?」とマスクを下げて顔を見せると「なんとなくわかるよ」とのこと。

これまで何度か取材させてもらったときもそうだが、文學さんは突然の訪問でもすぐに受け入れてくれる。度量がデカい。フットワークが軽い。

居室には表参道の骨董店で買ったという絵画のほか、『薔薇族』を発行した第二書房(当初は歌集などを発行)を立ち上げた父親や家族の写真、文學さんが女性と一緒に撮った写真などが飾られていた。女性は、映画『また遭う日まで』などで知られる俳優・久我美子だという。「家が近かったんだよ」と文學さん。

「せっかくいい天気なのに、寝ていたらもったいないんじゃないですか」
「いやあ、話し相手がいないんだよ。周りはばあさんばかりだし、じいさんはみんなボケてるしね」
気が若い文學さんは、自分のことを棚にあげてそうグチる。
「なにか書けばいいじゃないですか」
文學さんは文學という名前だけあって、筆まめだ。
「毎日やることがないから日記にも書くことがないんだ」
まあ、そうかも知れないなと思う。

「(施設にある)カフェで知り合った若い彼女がいるんだけどね。藝大出身で、コロンビアで働いていたんだ」とも言うが、これは本当なのかどうか確かめようがない。(ある種のリップサービスだろう)

「友だちがみんな死んでしまってね」と至極つまらなそう。「まあ、くよくよしないことだね」と自分に言い聞かせていた。

奇しくも『94歳のゲイ』に出演した長谷さん、文學さんのご近所さんだった久我さんの御二方とも今年鬼籍に入られている。

実はボク自身も、亡くなった小泉信一さんのことをお話ししようとやって来たのだった。小泉さんは朝日新聞の編集委員で、10月に亡くなった

小泉さんは、『男はつらいよ』からストリップまで大衆文化を幅広く取材した方で、『薔薇族』が廃刊になったときも紙面に取り上げるなど、文學さんとの付き合いが長かった。

ボク自身も、生前小泉さんと何度かお会いする機会があり、いわば共通の知人だ。

12月14日には、小泉さんの「盟友」だった毎日新聞の編集委員・鈴木琢磨さんが音頭をとって「小泉さんを偲ぶ会」が都内の居酒屋で開かれた。ボク自身も声をかけていただいて参加したので、その様子を文學さんに伝えた。

偲ぶ会は、『男はつらいよ』の山田洋次監督から音声メッセージが届くなど小泉さんの付き合いの幅広さがまさに“偲ばれる”呑み会となった。鈴木さんによれば、文學さんもお誘いしようと電話をかけたが、つながらなかったとのこと。文學さんは施設だし、ご家族はしばらく家を空けておられたようだ。

「それは行きたかったなあ」と文學さん。自身はお酒を呑まないが、人が集まる場所が好きなのだ。

「僕が死んだら、小泉さんが新聞に書いてくれると思っていた」と言う。

「書くことがない」と言っていた日記帳を見せてもらうと、ちゃんと書いてあった。

文學さんの日記帳より

朝日新聞の小泉信一記者が63歳(前立腺ガン)で亡くなった。僕があの世に行ったら記事にしてもらおうと思っていたのに、なんということか。さびしい。

2024年10月8日

「ボクも同じことを考えてました」と言うと、文學さんは笑っていた。
「まあ、それは毎日新聞の鈴木さんが引き継いでくれると思いますよ」と付け加えておいたので、もう何年かあとになると思いますが、鈴木さんその際はよろしくお願いします。

面会できる時間は決められている。「まだ大丈夫だよ」と文學さんは言うが、部屋の外にある共有スペースでは入居者のランチが始まっていた。
「ではそろそろ」と握手をかわして出てきた。

また会いにいこう。

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