モスクワの断片①
河崎さんの音楽詩劇研究所でモスクワに行ったのは何年前のことだったろうか。正確にはアルメニアのエレヴァンとロシアのモスクワの二ヶ所を廻るツアーだった。アルメニアはトルコやジョージアと緊張状態で国境では小さな紛争が常に起こっていた。ぼくらが行ったエレヴァンの街はそんなこととは無縁の平和な空気で、ぼくらはそこで滞在制作をした。アルメニアの想いでもたくさんあるが、今回掘り出したいのはモスクワでの記憶だ。
アルメニアからの飛行機でモスクワへと向かう。着陸の瞬間に機内で拍手と歓声が起こった。飛行機が無事着陸できたことに感謝し歓びを表すことができる。自分は知らない国に来たんだなと実感した。空港の中はむしろ日本の空港よりゴージャスで、さまざまなブランド品が並び外貨を落としてくださいと待ち構えている。アルメニアでぼくたちがすっかりやられてしまったアララトというコニャックがあって。ぼくたちはそれをアルメニアのトリスと呼んでポケットにいつも忍ばせていた。ロシアの空港で売られていたアララトはラベルだけが張り替えられすっかり高級品へと様変わりしていた。ぼくたちはこんな値段では手がでないと嘆いた。だが本来それが正しい姿なのだ。
空港を出て市内へと向かう。日本でいう京成スカイライナーみたいな特急便があってそれに乗れば一発で市内に出られる。タクシーで向かうという手もあったが、ロシア語がほとんど喋れない我々には難しいだろうと考えて電車で向かうことになった。ベラルーシカヤ駅に着いてまずは両替をしようということになる。旅慣れた連中は空港より市内の換金所の方がレートがいいのだと言っていた。ぼくはもう空港内で両替を済ませていたからどちらでもよかった。換金組が出かけている間、荷物番をしながら駅の中にある立派なレストランのようなカフェで待つ。なぜこんな書き方になるかというと、旧帝ロシア時代のめっちゃくちゃ立派な建造物の中に居抜きで入って営業しているため、ぼくらがふだんイメージしているカフェとは程遠く。そのまま美術館のような荘厳な雰囲気が漂っているからだ。石壁を削って作られた古のロシアの偉人たちに見守られながら飲むコーヒーの味はよくわからない。ほどなく換金組たちが帰ってくる。アルメニアですでに二週間ほど共同生活をしていたので、ぼくたちは打ち解けてひとつの家族のようだった。サイゼリヤで出てくるみたいな乾いたパスタを食べ、ワインを飲んだ。日本にいる時と食べてるものもやってることも変わらないなと思った。誰かが何でメニューにウォッカがないんだと言った。ぼくもそう思う。なんでこの店にはウォッカが置いてないんだ?訳がわからない。ロシアまで来てウォッカが飲めないなんて。ぼくはポケットからわずかに残ったアララトの小瓶を取り出してそれをひと口で飲み干した。分厚いコートの下にも真冬のロシアの冷たさが忍び寄ってくる。遠くの空を眺めながら今夜は冷えるなと知らない国の知らない街でぼくは知ったかぶりをした。