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ぼくたちは言葉によって思考している。思考や言葉というのはどんどん流れ落ちていってしまうので、それを何とか記録しようと文字にする。それによって数百年前に生きた人間の文章をぼくたちは読むことができる。もう死んでしまった人間の言葉を読むときそれは一見生き生きとして見える。だが言葉たちは放たれたはしから死んでいたのだ。百万年前に死んだ星の光を観測するように。あらかじめの死が持続している。何も存在しないはずの宇宙空間を黒と認識するように。暗黒とは空を意味するならば、そこに空っぽのダンス
高樹さんがみなさんに送ったメールで隆夫さんをスケープゴートにして、呉宮さんをサポートしてもりたたていきましょうみたいに書いてありましたけど。 いまパフォーマーとスタッフの間で高樹さんと原口さんの評判は最悪です。呉宮さんは名前を出されてしまったせいで逆になんで呉宮さんだけ特別扱いするんだ、他のスタッフやお手伝いもがんばってるのにという風に解釈されて風評被害をうけています。 むしろ狙っていた隆夫さんへのヘイトは解消されてるとはいえますが。 打ち上げという名のお二人の対応のま
現在地点 ①客入れ 平台石膏裸人 美紀子さんの背中にカルが絵を描く。バドミントンは最初からでなく、客入れ途中から。時間で平台を立てる→平台に足がついて自立するようになりました。 ②ワルツと呼んでいたシーン(旧ワル) ショスタコは使わない。合宿でやった一壮さんが台に載って運ばれていくのを3回繰り返す。それを中心として。ジビは新しい振付。カルは今のところ前回の動き。美紀子さんは未定だが、引きの一手の時の梯子の上でホース回したらやつをやったらどうかというアイデアがでている。途
自分の意思によって立つのか、自分の意思ではなく立ち上がっているのか。即興と呼ばれる行為/世界において、どの程度自己によるコントロールが有効で、どの程度周囲の環境或いは他者による意識/意思の介在が行われているのか意識してみる 。自分の意思による選びとった即興だとしてもそれが自分の習慣、つまりは身体の記憶によって再現されているもの。癖と呼ばれるものや習慣によって再現されているにすぎないとしたらそれはどこまでが自己の意思なんだろうか。 たとえば、即興がはじまる直前。大輔さんはぼく
津田犬太郎 inutaro Tsuda をどり/パフォーマンス 変態=メタモルフォーゼする意識と身体。順列された時間の波に走る縦糸。あなたにここにいてほしい。ブラックホール五丁目三番地。ダイソンさんの家の方へ。段差を越えて。段差を超えて。ホップ・ステップ・動物状態。ステータス確認。ブランド志向。質屋に身体を入れてみたい。スペインのRosalíaという歌手のHENTAIという曲が大変美しかった。
この地球上には陸地より海の割合のほうがずっと多いのだという。わたしの身体も、きっとそう。わたしとわたし以外が同居する小さな番外地。影になってしまった友人。左膝が悪いあの娘。坂道を降りていくとき。自分以外のなにものかになっていく。それは恐ろしいこと?かつてはみんなこどもだったのにね。
#呼吸について 全身に呼吸を通していく。姿勢は楽な体勢で立位でも座位でも寝てもよい。部屋の明かりは少し薄暗いほうが集中しやすい。 基本は鼻から吸って口から吐く 横隔膜に圧力がかかって連動するのを感じてみる→徐々に呼吸を深めていく。横隔膜が引き下がるのにあわせて地面の中に沈み込んで行くような。もしも感じにくかったら手の緊張を解いてみる。身体の重さをうまく使って深く沈み込む。 #イメージを使ってみる 身体のさまざまな部分から呼吸してみる(肘から吸っておへそから吐く。足の裏か
ラーメン400円という品書きが目に入る。安い。次いでサッポロラーメン(味噌・塩・醤油)500円という品書き。普通のラーメンとサッポロラーメン醤油の違いは何だろう。むしろこのラインナップで並べられるとサッポロ一番の袋麺のシリーズをまさかそのまま出す感じ?居酒屋だったらありだけど、昼間の食堂でまさかそれやるか?と思いながら店の前を右往左往。覚悟決めて入る。カウンターに若いサラリーマンらしき客ひとり。スマホをいじりながらかつ丼のようなものをかっこんでいる。カウンターの奥におばちゃん
河崎さんの音楽詩劇研究所でモスクワに行ったのは何年前のことだったろうか。正確にはアルメニアのエレヴァンとロシアのモスクワの二ヶ所を廻るツアーだった。アルメニアはトルコやジョージアと緊張状態で国境では小さな紛争が常に起こっていた。ぼくらが行ったエレヴァンの街はそんなこととは無縁の平和な空気で、ぼくらはそこで滞在制作をした。アルメニアの想いでもたくさんあるが、今回掘り出したいのはモスクワでの記憶だ。 アルメニアからの飛行機でモスクワへと向かう。着陸の瞬間に機内で拍手と歓声が起こ
ケーキは食べない。でもあのスポンジの層に挟まれてみたいとは思う。野苺ひとつ頭のうえにのっけて。そのまま冷蔵庫の奥にひっそりと忘れ去られて眠りたい。
輝く星が死んだ。想像力を道連れにして。跡には空白が残った。瓦礫の山は散り散りになって遠心の円を描く。それでも踊りつづけなくてはいけない。胸の奥の宇宙でそれは。瞳の奥のブルーでそれは。かつて美しい星があった。いまはもうない。なみのおとが聴こえる。彼方へ、彼方へ。かつてわたしだったあなたへ
窓烏たちは夜に泣く。閉じ込められた光の屈折とインターネットされた人間たちのいまここにある意識の曖昧さ。刈り取られた無意識が視る走馬灯。最終電車は逝ってしまった。窓烏たちはバサバサと笑う。風穴ひとつ。西高東低の気圧配置。こめかみが痛い。窓烏たちは透き通っていく。その向こう側で東京の街が夜にまみれている。窓烏には羽がない。あるのは硝子の瞳だけ。窓烏よ、いまも砕け散る夢を見るか?
ここにあるテキストこれは私だろうか。私と呼ばれるものが書いたこのテキストは私について書かれている。この私のからだから遠く離れて散り散りの文字になって記録された私は私?学校やなんかによくある私立と書いてわたくしと呼ぶタイプの学校。わたしとあたしの違い。矢切の渡し。生まれたばかりの私。20年後の私。私以外の私。気づいたら私は私だった。わけではない。私は私が生まれた瞬間を記憶している。それは病院の分娩台の上。ではない。母親の胎内の中。ではない。父親の精子が母親の卵子の中に突入した瞬