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レールを外れた人生

辞書で「レールを外れた」を調べると「堕落した」とか「落ちぶれた」などのネガティブな意味合いが強い。私の人生に多大な影響を及ぼしたN氏は正にレールを外れた人生を選んだが、落ちぶれるどころか成功をつかんだと言える。

N氏は現在80代半ばなので、戦争が終わった時に小学生だったはず。北海道で生まれ育ったN氏はやがて東京の大学を受験するが合格せず、仕方なく一旦就職する。それでも大学を諦めきれず、再度地元北海道の大学を受験し合格する。卒業後、地元の企業に就職するが仕事はあまり面白くなかった。そんな折、大学で親しかった元クラスメートから手紙を受け取る。ドイツからの国際郵便。そのクラスメートは鉄道でロシアを横断してヨーロッパに入り、ドイツで仕事にありついたと書いてきた。ビジネスチャンスはいくらでもあるから君もこっちに来たらどうかとも。

N氏はウラジオストクからシベリア鉄道に乗ってヨーロッパを目指した。日本でのある程度の安定が見込めるレールからは外れたが、未知の世界に繋がるレールに切り替えたとも言える。

確かN氏はドイツにたどり着くまでにオランダかどこかの国境で足止めを食らったと言っていた。それはそれで今では考えられないような形で状況を打開できたと話してくれた。この話を本人の口から聞いた直後にメモを取っておくべきだった。迂闊にもこの話の細かいところは忘れてしまった。N氏はなかなかのストーリーテラーでもあり、今までこれ以外にも色々面白い話をしてくれたのだが肝心の内容を忘れてしまった。

やがてN氏はドイツにたどり着き、言葉を覚え、最初は通訳や翻訳の仕事で生計を立てながら、やがて彼の地に支社を設けていた大手日本企業の現地法人支社長に就任した。右肩上がりの日本経済をバックに日経企業は海外にどんどん進出していた。N氏はそういう企業に重宝される存在だったのだろう。海外に進出する日本企業の現地案内役としての要職を渡り歩き、やがて彼はアメリカにたどり着き、自分の会社を設立し、永住権も取得した。東京郊外の高級住宅地に家も建て、海外と日本を行ったり来たりする生活に入った。

私が初めてN氏と知り合ったのは20年ほど前。彼は当時私が勤めていた医療機器の輸入商社で社外アドバイザーみたいなポジションを与えられていた。当時既に60代半ばだったN氏はほぼほぼリタイアしたような生活を送りながら常にビジネスチャンス(金儲けの話)にアンテナを立てていた。

気に食わない事ががあると容赦なく相手に噛み付くN氏を私の上司や他の社員は「気難しくてガメツイ爺さん」と陰では罵りながら、N氏の協力無しでは成立しない取引を抱えていたため仕方なくつきあい続けていた。英日バイリンガルで単なる事務員だった私はN氏にとって便利な存在だったのだろう。たまに面倒な翻訳作業を押し付けられることはあったが私には常に感じ良く接してくれた。

結局、その会社を退職した後もN氏はたまに連絡を寄越して英語の資料の翻訳などを依頼してきた。そして、私がなかなか職にありつけず困っている時に、その後15年間(私にとっては一番長い)勤め上げる事になった仕事を紹介してくれた。夫との出会いもN氏が依頼してきた通訳のバイトを通じてだった。N氏と知り合っていなければ今の私の生活は全く違ったものになっていただろう。

N氏の人生はレールを外れたというより、要所要所で上手くポイント切り替えができた人生と言った方が適当かもしれない。
私もそのおこぼれに与り良いポイント切り替えをさせてもらった。

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