町田
夫の在留カード更新に戸籍謄本が必要なため本籍のある町田市役所まで行って来た。戸籍謄本が必要になる度に町田まで行くのは面倒だから本籍を現住所のある八王子市に移そうかと町田に向かう電車の中で考えた。今年の3月から本籍地がどこにあろうと最寄りの市役所やコンビニで戸籍が取得できるようになった事を証明書発行窓口で対応してくれた女性が教えてくれた。なんと!電車賃と時間をかけてわざわざ出向くまでもなかったのだ。
皮肉なもので、本籍を八王子市に移そうかとまで考えていたくせに、これで今後町田に行く理由も特になくなったと思うとなんとなくさみしい。町田という街は特に好きな街でもないのに。たまたまなりゆきで住むことになった街、自分で住もうと選んだ街でもないのに。
1980年代初頭、アメリカ駐在の任期が終了し日本に戻ってきたタイミングで父は町田に家を買った。最寄り駅はJR横浜線の成瀬という駅だったが(最寄りと言っても徒歩20分はかかった)当時は父も私も母に車で送迎してもらって東急田園都市線のつくし野という駅を通勤通学に利用していた。私が編入した高校は練馬にあったので、片道1時間半かけて通っていた。大学は四ツ谷で少しは近くなったが、学生時代は通学に時間がかかる上に定期があって都心に出やすかったので町田で遊ぶことはあまりなかった。
それでもたまに休みの日に母と町田でショッピングをすることもあり、そんな時いつも立ち寄った喫茶店があった。戦後間もない頃から歴史のある町田仲見世商店街の中にあったルナ。字幕翻訳の戸田奈津子さんに似たマダムが1人で切り盛りしているお店だった。我々はいつもケーキセットを注文した。ケーキは常時5種類くらい用意されていてマダムの手作りだったと思う。コーヒーはサイフォン式で一杯ずつ丁寧に淹れてくれ、カップとソーサーも客の雰囲気にあったものを選んでサーブしてくれた。町田仲見世商店街は今も町田の名物とした健在なのだが、店舗はほとんどすべて入れ替わり、残念ながらルナはとっくの昔に閉店してしまった。
そもそも町田には10代後半から住み始めたので地元という感覚すらなかった。地元の友達というのもいなかったので成人式の式典にも参加しなかった。20代で一旦実家を出て一人暮らしを始めてからはたまに父に会いに行く時くらいしか町田に足を踏み入れることはなかった。
40になり、父がだいぶ老いてきたのを機に再び町田市民になった。通勤も小田急線を使うようになったので町田駅周辺で過ごす時間も10代から20代にかけて住んでいた頃より増えた。10数年後に父が亡くなるまで休みの日の大半は町田周辺をうろうろしていた。特に最後の数年は父の食事の支度があるため遠出はできなくなったので。町田を歩いていると、あの時ここの通りを歩きながらこんな事考えていたなぁなんていう思い出がぎっしり詰まっている。
そんなに好きな街でもないのに、もう来る理由もないと思うとさみしい。
前出の町田仲見世商店街に81番というラーメン屋さんがある。ここのラーメンは絶品で店の雰囲気も上品で女性1人でも入りやすい(私は結構どこにでも平気で1人で入れるのだが)。8年前のオープン当初から何度も食している。
そうだ、このラーメンを食べるために今後は町田に来ることにしよう。