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無碍に振ってしまうことができなかった2冊
本に目がないのでどんどん本が増えていく。自分と本の関係を恋愛に例えるなら、私は非常に惚れっぽく気の多い女なのだ。
本屋で遭遇したその瞬間に手が伸びてそのままレジに向かう一目惚れもあれば、信頼する読書家や作家が「これが私の愛読書です。」と紹介した本を横恋慕する場合もある。
恋愛も本の選択も人からの紹介で上手くいく事はあまりない。「いい人いるんだけど、会ってみない?(面白い本があるんだけど、読んでみない?)」と言われてもあまり食指が動かない。たまに気まぐれでその人に会ってみたり(その本を読んでみたり)してもまずピンとこない。生来の天邪鬼だからだろうか。
一目惚れで買ったはいいがなんとなく読むタイミングを外してしまった本、読んだけど手元に置いておいて再読したいほどではなかった本、「ちょっと読んでみるだけでいいからさ…」と人から託されたがそのまま放ったらかしになっていた本の山が10冊を超えてきた。
読まないものはいつまで置いておいてもしょうがないからそろそろ処分することにした。メルカリに出品するか古本屋に売りにいくかして、その本を今読みたいと思っている人の腕の中に送り込んでやった方がいい。中には後でまた読みたくなることもあるかもしれないが、その場合は改めて買えばいい。恋も本もタイミングが大事。
処分するかどうか最終判断を下すため1冊ずつパラパラと点検を行なった結果、写真の2冊、原田ひ香の「古本食堂」とジェーン・スーの「これでもいいのだ」はもう少し手元に置いておくことに決定。
「古本食堂」は最初の10ページほど読んで物語に引き込まれた。神保町の古本屋が舞台となっているところがポイント高い。私は大学時代の先輩二人と不定期に神保町にて「読書会」を行なっている。お昼頃に集合してカレーを食べた後喫茶店に移動して本についてや自分たちの近況について2、3時間語り合う。私にとって神保町は特別なところなのだ。今までこの本を開くことなかった理由はあまりにも私の好みにあっていそうだったからとも言える。どうしようもない天邪鬼。
「これでもいいのだ」に至っては、いざ読み始めればジェーン・スーの小気味良い文章に引き込まれる。実は、この本は一度読み始めて封印してあったのだ。最初の「プレミアム豚の夜」というエッセイを読んで少し辛くなってしまったから。気のおけない女友達とアフターファイブに六本木の洒落た豚しゃぶ店で久しぶりに喋り倒したという愉快な話で、最後に「女友達は、唯一元本割れしない財産だ。私はそう確信している」と締めくくられている。当時(半年ほど前)私はそれを読んで自分が多くの女友達に対して元本割れしているなと思ってしまったのだ。今回全く別のエッセイを幾つか読んでみてスカッとするものが多かった。短くて読みやすいのでちょっとした隙間時間に読むのにピッタリだ。
これら2冊は母が読み終わったものを私に「読む?」と回してきたものだ。仲良し母娘なので私のテイストも熟知している。大幅にハズレの本を薦めてくるはずもない。親が選んだ相手と結婚したカップルが案外恋愛結婚のカップルよりうまくいっているケースもあるように。
あとの10冊に対しては「ごめんなさい」して別の読者に出会ってくれることを祈るのみ。