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Top of the World

カーペンターズのこの曲を耳にするたび脳裏に浮かぶ光景がある。

Ladera Elementary School に向かうスクールバスの窓から見たサンフランシスコ郊外の街並みと運転席のてっぺんから覗くMr. Smithのアフロヘア。1973年の9月から1年間毎日目にした光景だ。

父の仕事の関係で我々一家はサンフランシスコの郊外にあるMenlo Parkという地域に移り住んだ。日本の小学校で一年生の一学期を終えたタイミングで母と私は一足先に現地入りしていた父親と合流した。アメリカの学校は9月から新学期なので私は現地の小学校の一年生からスタートでき、英語は全く話せなかったが、クラスメートが全員ピカピカの一年生というこのタイミングでアメリカ生活をスタートできたのはラッキーだったと思う。

一番にできた友達は同じアパートに住むPetraというドイツ人の女の子。彼女の家族も父親の仕事の関係でアメリカに来たばかりでお互い全く英語が喋れなかったがスクールバスを待つバス停で知り合ってすぐ意気投合した。最初の頃どうやってコミュニケーションを図っていたのかは全く覚えていない。2人とも英語が何不自由なく喋れるようになっていた一年後にPetraの一家はドイツに戻って行ってしまった。

スクールバスでの通学もその一年で終了した。どういう都合でそうなっていたのかはわからないが、我々の住んでいたアパートから歩いて通える距離にあったLa Loma小学校は2年生からしか受け入れがなく、1年生はバスで隣の学区にある小学校に通うしくみになっていたのだ。

2年生以降は言葉もできるようになり、友達も増え、環境に馴染んだ分周りの全てが良くも悪くも「普通」に映るようになった記憶がある。

アメリカに渡って最初の一年は、周りの人たちが何を喋っているのかわからなかったのと同時に、教師やクラスメートのみならず、クラスメートの父兄たちまで私を「遠い国から来たいたいけな女の子」として大切に扱ってくれた。なぜかあれ以来一度も経験したことないくらい男の子たちにモテた一年でもあった。

カレン・カーペンターの優しい歌声を聴きながら黄色いバスに揺られ、正に世界のてっぺんにいたようなふわふわとした一年だった。

今となっては他人事のような遠い記憶。

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