Nature or Nurture?
人間形成に於ける遺伝(nature)と環境(nurture)の比率に関するポピュラーな議論。
ここで込み入った専門的な話をするつもりはない。
先日夫が唐突に、
"Nature or nurture, what do you think?"
と訊いてきた。
咄嗟に出てきた私の答えは、
"A combination of both"(両方のコンビネーション)
と極めて当たり前のもの。
自分の事を例に考えてみた。
私は人の集まりの中では口数が少なく、非社交的とまでは言わぬまでも積極的に人の輪の中に入っていく性分ではない。グループの中で会話をリードしていく事は皆無だし、その様な役割を与えられる事を何よりも苦手とする。
私の両親も似たような性分。そんな2人の間に生まれ、そんな2人をお手本に育った私のこの性分は遺伝により持って生まれた性格なのか、或いは環境によって育まれたものなのだろうか。
私は一人っ子だが、もし兄弟がいたらと仮定しよう。しかもその兄だか弟だかが極めて社交的で饒舌な男だったとしたら、それは持って生まれた性格という事になるのだろうか?社交の場で壁の花と化す両親を不甲斐なく感じて自分はあんな風になるまいと自分の持って生まれた性格に抗って努力した結果そうなったかもしれない。
Natureという言葉で大昔(1992年)のThe Crying Gameという映画を思い出した。ストーリーはすっかり忘れてしまったが、映画の中で主人公のひとりがカエルとサソリという古いロシアの寓話のあらすじを語るシーンがあった。川を渡るためサソリはカエルに背中に乗せてくれと頼む。カエルはサソリに刺されるのを恐れて断るが、サソリは刺したら自分も川に沈んでしまうから刺さないと約束してカエルを説得する。しかし、結局川を渡る途中でサソリはカエルを刺してしまう。「なんで刺したの?」と尋ねるカエルにサソリは「そういう性分だから」と答える。
良い映画だったという事と
"It's in my nature."
というセリフだけが今でも印象に残っている。
このセリフの言葉の意味だけ切り取ると持って生まれた性質は環境で変える事はできないと言っているようであるが、この映画の文脈の中ではそう単純なものではないという解釈もできた気がする。そこがこの映画をいい映画だと思った所以だと思う。
Three Identical Strangersというドキュメンタリーを観たこともある。生まれたばかりの三つ子がある研究機関によって、三つ子であるという事実は本人たちにも彼らを受け入れる家庭にも伏せて養子に出される。異なる家庭環境で育った3人は19歳の時に偶然お互いの存在を知る事となり、共同でビジネスを始めるなど行動を共にするようになり、一時期マスコミに騒がれ、その後またそれぞれ別々の人生を歩む事となる。育った環境が違っても不思議と似ている部分(髪型や服の好みなど)もあれば、環境から受けた影響によりそれぞれ異なる部分もあり、そのドキュメンタリーもその研究機関が行った事は倫理的に問題あるといった見解以外に特に結論めいた事は述べていなかった。
Nature or nurture, what do you think?
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