noteを日記帳とする
訳があってSNSトリートメント(強制)をしている。
SNSから離れる生活。離れると言ってもROMはしているし、自分で書き込む事を止めていたり、SNS上の友人の投稿にイイネなどを止めている。
自己顕示欲と言うSNSの魔物と戦う日々をそれとなく送りながら、自身のSNSと付き合って行く上での距離感を考える事が出来たので、少しまとめてみる。
しかし、長い文章を書かなくなった。
自身、初めて手にしたパソコンで初めて開設したバンドの宣伝やらをしようと始めたサイト。
しかし、なぜか方針転換をし当時流行りに流行った日記系テキストサイトになる。
自身の日々をネタに面白おかしく(面白おかしかったはず)徒然書いていたのだけれど、
まさに日々の生活がネタ探しとなり、ネタ作りとなり、日記に支配される様になり、ある日ぼくはCD ROMの真ん中に空いている穴に愚息を突っ込んだのだった。
自身の名誉の為ではないが言い訳をすると、通常時である。それにしてもアレか。
「この穴に指や体の一部を入れないでください」
CD ROMのパッケージに書いていた注意書きの、この一文のせいでぼくは人間をやめた。
そして、ネタに人生を振り回されるのをやめた。
ネタを探す人生に疲れたのだ。
そしてその年の終わりくらいに、ぼくは人生で初めて作ったテキストサイトを閉じた。
テキストサイトに振り回されている人生。アデュー。ネタを切り売りする人生さよなら。
ぼくはその日から長い文章の日記を書いていない。
時代の流れはblogと言う物に移り変わり、自身の日々を短い文章で写真付きで簡潔にまとめると言うスタイルになり、
テキストサイトを閉じたぼくは暇つぶしで写真と一言日記を始めた。
この辺りで長文を書かなくなった弊害か、それとも写真を気軽にblogに貼り付ける事ができる様になったからか、
極端に文章を書く事がなくなった。
その後もmixiで友達を作る為に無難な文章を短く書いたり、
ビジネスSNSの最高峰facebookで、無難すぎる文章を書いていたのにも関わらず、
会社の頭ガッチガチのSNSやめてしまえ的おっさん達のよくわからないクレームでゾーンニングと言う言葉を学んだ。
たかが新幹線のグリーン車に乗ったと言う投稿が気に入らなかったらしい。
コンプライアンスと言う魔女狩りは自身にも降り注ぐんだとその時感じた物である。
自身の主戦場はX ※Twitter だと思う。
Twitterで呟く文章は簡潔、簡単に短い文章で自分のお気持ちを表明するツールである。
長い文章を書く、落ち着いて全部の文章を推敲するとは正反対のお手軽ツールだけど、
そのお手軽ツールのお手軽一言に魂をかけている所がある。
フォローフォロワー数の割に読む人も少なく、プレッシャーも感じず好きな事を書ける為、
本当に好きな事を書いていたらたまに炎上する。
でもTwitterならノーダメ。匿名だし、困る事もないのだ。
Twitter大好き。X?俺が好きだったのはあの混沌とした雰囲気で便所の落書きを更に汚物で洗い流した様なTwitterが好きだった。
今のXのあの感じ、誰が得するんですかね?
ぼくのタイムラインはなんかエロいお姉さんと、なんかエロいくねくねしたお姉さんと、一部のキチガイが叫んでいる陰謀論だらけである。
最高じゃねえか。
色んなプラットフォームで自己顕示欲を垂れ流してきた人生を顧みて、
きっとこのままだと何ともならない駄文のみが自分の生きてきた道標になりかねないし、
そうするとあの文章達がぼくの死んだ世界に残ってしまうわけで。
あー、ちゃんと長い文章を残していこう。
そう思ってnoteを始めることにした。しました。やります。やる。
とりあえず、何を書くとか何を始めるとかじゃないけど、気が向いた人がいたらぼくのオナニーに付き合ってほしい。
明日、漫画描き始めるかもしれないし。
明日、バンドの宣伝するかもしれないし。
明日、死ぬかもしれない。
明日何が起きるかわからないから今きちんとしようって思う。