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父と娘と、物を書く仕事

私の父は、もうこの世にいない。
そして、私が父について語ることもあまりない。
単純な理由だが、仲が良くなかったからだ。
他人を認めない父と、気が強い私は、どうしても上手く折り合うことができなかった。

生前、父は新聞記者だった。
そして、私は2022年9月から、複業でフリーライターの仕事をしている。
仲が良くなかった父と同じ「物を書く仕事」に就いたというわけだ。
そのことに気付いたとき、ふと、父について書いてみたくなった。


1.父、その情けない姿と格好良い姿

父は会社勤めの記者だったが、ほとんど自宅で記事を書いていた。
春から夏の間は、白い木綿のランニングにステテコという情けない姿で。
※コットンのタンクトップにレギンスでは決してない※

想像していただきたい。
何日も頭を洗っていない中年男性(父は洗髪が嫌いだった)が、純白のランニング&ステテコに身を包んだ姿を。
ちなみに、父はヤニ香るヘビースモーカーでもあった。
視覚嗅覚情報を駆使して想像していただきたい。

しかし、ひとたび事件が起きると、父はすぐに現場へと飛び出して行った。
ベージュのカメラマンジャケットを羽織った、現役記者らしいその姿は、わが父ながら格好良かったものだ。
もっとも、インパクトという意味においては、ランニング&ステテコには敵わなかったのだけれど。

2.父、娘に本を読ませて愉しむ

父は、本を読むのが好きだった。
実家に著書が数多くあったことから、おそらく西村寿行先生のファンだったのだろう。
しかし、茶の間の本棚ではなく、自室に置いていたのは大失敗だったと思う。
気の毒なほど、ヤニ香る書籍と化していたからだ……。

私が生まれた頃、父は「本を読む子に育てたい」と思っていたらしい。
もっとも、思っただけで、そのために何か努力をしたわけではないのだけれど。
しかし、その努力の無さにも関わらず、私は本を読む子に育った。

私に本を与えると、その場で読み始めるようになったのが、父には面白かったらしい。
邪魔になると母に怒られながらも、日本昔話や世界童話全集など、いろいろな本を買ってきたものだ。
そして、父はよく、中学・高校時代の私に図書カードをくれた。
「もらったからやる」と言っていたのだが、もしかしたら自分で買っていたのだろうか。
本当にもらっていたのだとしたら、誰があれほど頻繁に、図書カードを父へ贈っていたのだろう。
※毎回、額面は500円or1000円※
もしも自分で買っていたのなら、わが父ながらお茶目な話だと思う。

そして、大人になった私に、ヤツはこう言い放った。
「おまえはバカな子供だったけれど、読み書きができるようになるのだけは、びっくりするくらい早かった」と……。

3.娘、蛙の子はオタマジャクシでライターになる

前述の通り、私は2022年の秋、フリーライターの仕事を始めた。
蛙の子は蛙、というやつだろうか。
いや、さすがにベテラン記者だった父には敵わない。
せいぜい、蛙の子はオタマジャクシというところか。

もともと、小説やエッセイなどの創作をやっていた私は、文章を書くことが大好きだ。
まったく苦痛にならないので、時間さえ取れれば、いくらでも書いていられる。
ただ、ライター(主にwebの記事)と創作では、書き方がまったく異なっていた。

・小説やエッセイは、文章を読みたい人が読むもの
・webの記事は、情報を知りたい人が読むもの

この違いは大きい。
小説やエッセイは、文章に綺麗な比喩や趣を散りばめたいけれど、webの記事は読みやすさが最優先。
意地でも「初心者です」と言いたくなかった私は、SEO(検索結果を上位に出す手法)のオンライン講座を受けたり、ライティングの本を読み漁ったりと、自分なりに勉強してから開業した。

ところで、父と私の仲が悪かった理由のひとつに、父の口癖がある。
自分が理解できないことを、必ず「くだらない」と言うのだ。
私が応援していたサッカーチームも、無駄に終わった英会話も、何もかも「くだらない」と一喝されてしまったものだ。
当然、父といるときの私は、ほぼプンスカ状態だった。

しかし、今思い出してみると。
父は私が書く拙い小説に、一度も「くだらない」とは言わなかった。
(ちゃんと読んだことはないはずだが、さりげなく覗いていたことはある)
中学時代、一部の大人が下に見ていたらしい、少女小説に読みふけっていた頃も。
何であれ、読むことや書くことについては、決して「くだらない」とは言わなかった。
もしかしたら、私が文章を好きでいられる理由のひとつは、それなのかもしれない。

4.娘、父との思い出に一度だけ泣く

父が亡くなったときも、お葬式のときも、私は泣かなかった。
悲しくないというより、実感が沸かなかったのだ。
あの、ひねくれ者の父が死ぬなんて、絶対にあり得ない。
憎まれっ子世にはばかる、と言うではないか。
父が息を引き取るのを見届けてさえ、私はそう思っていた。

そんな私が、たった一度だけ、父との思い出に大泣きしたことがある。
父の部屋の本棚で、藤原伊織先生の「テロリストのパラソル」を見つけたときだ。

何年前かは忘れたけれど、お正月休みに帰省した私は、実家のこたつで「テロリストのパラソル」の文庫本を読んでいた。
登場人物の洗練された会話や、ぐいぐいと展開するストーリーに夢中だったことを覚えている。

「なんだ、おまえもこれ読んでるのか」
読書の途中、声をかけられて顔を上げると、父が「テロリストのパラソル」の単行本を手にしていたのだ。
驚いた私は、珍しく父と短い会話をした。

「えっ、お父さん、それ持ってたの?」
「わざわざ買ったのか、言えば貸してやったのに」
「持ってるなんて知らなかったもん。藤原伊織、好きなの?」
「ああ、おもしろいからな。『ひまわりの祝祭』もいいぞ」

父亡き後、本棚で再会したその単行本は、見事にヤニ臭かった。
保存状態も悪いのか、紙が茶色っぽくなっている。
そして、かなりくたびれていた。おそらく、父が何度も読んだのだろう。

その本に触れた時、父との短い会話を思い出した私は、ひとりで大泣きした。
どうして涙が出て来たのか、自分でもわからない。
ただ、条件反射のように泣き出したのだ。

後にも先にも、私が父との思い出に泣いたのは、その一度だけだった。

5.父が娘に残したもの

こんな記事を書くと「本当は良い親子だったのね」と思われそうだが、それは心の底から否定する。
とにかく、私達は仲の悪い親子だった。

ただ、父が私に買い与えてくれた本や、謎の図書カードには感謝している。
おかげで、私はたくさんの本を読むことができた。

そして、もうひとつ。
父が私に、記事を書く姿を見せてくれたことにも、ひっそりと感謝している。
その姿が、娘の私を、書くことに抵抗のない大人へと育ててくれたのだから。

もし、ライターとして私が書く記事に、僅かばかりの力があるとしたら。
それこそ、父が私に残してくれた、かけがえのない宝物なのだろう。

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さわきゆり|ライター
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