挨拶の意義
あいさつは、距離の近い相手に対して、敵じゃないことを表現する方法のひとつだと思っている。
声を掛ければ届く距離にいる相手に直接かけることば
手を伸ばせば触れる距離にいる相手に対して直接かけることば
挨拶をしたら返してほしいとおもってしまう
言葉として意味のあるものではない
声色や表情などから非言語的な印象が相手に伝わる
同じ組織に所属している人に、無条件で挨拶することが半ば義務付けられているのは、
組織として成果を出し続けるためには、個人的な好き嫌いを考慮する間もなく、仲間として協力し合い成果を上げていく必要があるからだと思う。
同じ組織には、同じような考えと熱意を持ち、同じくらいのレベルで仕事や勉強ができる人が集まっているのだという暗黙の了解があるので、(たとえ相手の人間性をよく知らなくても、)自分と同じ類の人間であるという前提条件において敵ではないと無理やり判断して挨拶している節があると思う。
「挨拶したくない」という人は、この、相手の人間性を深く知らないのに仲間として接していかなければいけない点において、多少のストレスを感じているのかもしれないと思った。
田舎に比べ都会のマンションで挨拶する人が少ないように、個人主義的な人の方がこういう考えを持ちやすいのかもしれない。
物理的距離にくわえ、心理的距離も近い相手に対しては、敵じゃないことに加え、今日も味方であることと、愛おしさを伝える言葉としての役割があると思う。
よく知らないけど毎日顔を合わせる隣人に対してする挨拶は、「敵じゃないよ。困っていたら助けるし、困っていたら助けてね」という気持ちを乗せて挨拶をするし、
毎日一緒にいる家族や恋人に朝が来るたび「おはよう」と言うのは、今日もあなたの味方だということを伝えているし、
夜が来るたびに「おやすみ」と言いたいのは、愛おしい気持ちと良い眠りについて素敵な夢をみてほしいという気持ち、そして、また明日も会いたいという気持ちを込めている。
#挨拶絶対主義
#挨拶しない自由
#私にとっての挨拶
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