昭和生まれのタワー6兄弟
結論
1950年~60年代前半に建てられた、名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーは内藤多仲が設計したタワー6兄弟と呼ばれている。
航空法の改正によって、後からできたさっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーは色が塗られている。
6塔のタワーでは、展望台だけではなく、観光名所として、さまざまな体験ができる。
4月29日は昭和の日
4月29日は、昭和天皇の誕生日です。昭和時代、天皇誕生日という祝日でした。平成に入ってからも、大型連休を保つため、みどりの日→昭和の日に名前を変えて祝日が維持されました。2023年は岐阜県に行ったときに見られた昭和の日常について話しました。下の記事をお読みください。
2024年は昭和時代に建てられたタワー6兄弟について話します。
タワー6兄弟
内藤多仲が高度成長期に設計した6塔のタワーのことを「タワー6兄弟」と言われています。このことから、内藤多仲は「塔博士」と呼ばれています。
大正時代から設計にあたり、3代目歌舞伎座、山梨県庁本館などに携わりました。関東大震災では、設計を担当した建物が崩壊せず、被害が抑えられていたことから、「耐震構造の父」とも呼ばれています。
高度経済成長期にタワーが建設された理由
テレビが登場したことにより、放送局が相次いで誕生したため、電波の発信所としてより遠く、広範囲に電波を送信するため、電波塔が必要になりました。街の観光名所という目的でもタワーは建てられました。
2011年、当時主流だったアナログ放送が地上デジタル放送に完全移行され、電波塔としての役割を果たし、展望台として活用されることがほとんどです。
職人技で造られたタワー
ちなみに、当時の建設では、現在のように重機を用いず、職人の手作業によって建てられました。つるはし、スコップでタワーの基礎を作ったり、熱々の鉄のかたまりで鉄骨同士をくっつけていました。高い場所ほど、強風にあおられ、転落して亡くなるなど、犠牲者も出したことも事実です。
1960年の航空法51条の改正により、60m以上の建築物は、昼間でも航空機から見えるように、鉄塔は昼間障害標識と呼ばれる赤白のシマ模様を塗らなければならなくなりました。しかし、最初の3つは、建設当時は法律の改正が検討される前に建てられたことなど、特例で色を塗らなくていいことが認められ、銀色を保っていました。
名古屋テレビ塔は重要文化財、2代目通天閣、別府タワー、東京タワーは登録有形文化財に指定されています。
長男 名古屋テレビ塔 (180m)
1954年6月20日に開業しました。東京タワーが建設されるまで、日本一高いタワーでした。戦後復興のシンボルとして、現在の久屋大通公園内にあります。当時の建築基準法と名古屋市の条例により、道路上に建造物を建設すること、高さ31mを超える建物を建設することを禁止されていました。しかし、工作物として建てることにより、乗り越えました。
耐震補強工事などを行い、2020年9月18日、中部電力 MIRAI TOWERに名称を変えてリニューアルオープンしました。イルミネーションも豪華になり、観光名所として進化を遂げました。100mのところにある展望台だけではなく、カフェ、ホテルも併設されています。
次男 2代目通天閣 (103m)
1912年に初代が建てられ、当時の高さは85mと大阪で一番高い展望台でした。通天閣のふもとには、ルナパークという遊園地がありました。遊園地一帯の地域を新世界と呼んでいました。1943年、直下の映画館の火災により焼失し、鉄材として献上されたため、解体されました。初代通天閣は、パリにある凱旋門とエッフェル塔を合体したデザインとなっていました。
1956年10月28日、通天閣が再建されました。設計時に、初代より高いタワーを求められたため、103mになりました。建設当初から電波塔の役割を持たず、観光目的で建てられました。
通天閣といえば、ビリケンさんがシンボルです。ビリケンさんは、1908年にアメリカの女性芸術家、フローレンス・プリッツが夢で見た幸福の神様がモデルです。当時の大統領、ウィリアム・ハワード・タフトの愛称「ビリー」+小さいを表す接尾語「-ken」から、ビリケンになりました。ビリケンさんは、初代通天閣が建てられたと同時に、ルナパークに鎮座しました。1909年、日本に伝わり、関西地方を中心に幸福の神様として広まりました。
1979年、通天閣内に復活しました。現在は、2012年に登場した3代目が鎮座石ています。足の裏をなでるとご利益があると言われています。
展望台は高さ87.5mのところにあります。92.5mの場所には、全面透明の展望台もあり、浮いている感覚が味わえます。
三男 別府タワー (100m)
1957年5月10日開業。別府温泉観光産業大博覧会の目玉施設として建設されました。別府温泉のシンボルとなり、55mの高さにある展望台から、別府の街並みや別府湾を眺めることができます。
2010年2月には、別府三太郎、2019年には擬人化したキャラクター、別府タワーちゃんも登場しました。
四男 さっぽろテレビ塔(147.2m)
1957年8月24日開業しました。航空法に対応するため、赤色に塗られています。大通公園に建ちます。街の中に溶け込む風景は、名古屋の久屋大通に建つ名古屋テレビ塔とそっくりです。
開業当初は周りに高層建築物がなく、目立つ存在でした。しかし、2003年、札幌駅にJRタワーが誕生してから北海道一の高さの地位を譲ることになりました。創成川スクエアなど続々とさっぽろテレビ塔より高い建物が登場し、展望台としての存在感が薄れても、テレビ父さんという非公認のキャラクターなどがおり、観光名所として健在です。ちなみに、公式キャラクターはタワッキーです。タワッキーは、テレビ父さんが人気になりすぎたため、お土産売場で影を潜めています。
90.32mの高さにある展望台から見た札幌の街の座標について、下の記事に書きましたので、よろしければ、お読みください。
五男 東京タワー(332.6m)
1958年12月25日開業しました。正式名称は「日本電波塔」です。建設当時、パリのエッフェル塔(310m)を抜いて世界一高いタワーになりました。関東地方に電波を送信するために必要な高さを計算したところ、300m以上必要であることがわかり、332.6mに設計されました。覚えやすいため、小数点を四捨五入して333mと言われています。航空法に対応するため、オレンジ色と白色で交互に塗られたシマ模様のように見えます。
展望台は、150m、250mにあります。
東京スカイツリーが完成したこと、地上アナログ放送が終了したことにより、電波塔としての役割を終え、観光名所となっています。高層ビルが続々と建てられ、東京タワーの展望台より高いビルが増えても、ふもとでイベントが開催されるなど、まだまだ健在です。
六男 博多ポートタワー(100m)
博多湾沿いに建つ高さ100mの赤白のタワーです。1964年10月17日に開業しました。福岡タワーが誕生して以降、福岡タワーの影に隠れがちです。70mのところに展望台があり、博多湾を見渡すことができます。ふもとのビルでは、博多港の歴史を学ぶことができます。
今回は、高度経済成長期に誕生したタワー6兄弟について話しました。展望台から見える景色だけではなく、イベントなど、さまざまな体験もでき、観光地として現役で働いていました。ゴールデンウイークなど大型連休の観光地を選ぶときの参考にしていただければ幸いです。
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