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文化財の駅のヒミツを知った

結論

天竜二俣駅は、時代背景と鉄道の発展を語っていた。

10月14日は鉄道の日

1872年10月14日、新橋~横浜(現在の桜木町駅)間で日本で初めて鉄道が開通しました。1922年、当時の鉄道省が鉄道記念日、1994年、運輸省(現在の国土交通省)が鉄道の日を制定しました。

2023年は、乗り放題きっぷの活用法について話しました。お得に旅を楽しむ方法としてさ、ぜひご活用ください。

2024年鉄道の日のテーマは天浜線天竜二俣駅

2024年鉄道の日は、天竜二俣駅を見学したときの話をします。天竜二俣駅は天竜浜名湖鉄道最大の駅です。天竜浜名湖鉄道について書いた記事は↓です。

天竜浜名湖鉄道の歴史

1923年、金指駅から飯田線三河大野駅を経由し、明知線明知駅(現在の明知鉄道明智駅)と接続する構想がたてられました。中央本線恵那~東海道本線掛川駅が一つの路線で結ばれ、国鉄遠美線が誕生する予定でした。しかし、国会で決議した直後、関東大震災が発生しました。復興に集中するため、国鉄遠美線構想は白紙になりました。もし、国鉄遠美線が開通していれば、明知鉄道、天竜浜名湖鉄道は違う運命をたどっていたかもしれません。

1935年、掛川から二俣線、新所原から二俣西線として線路を延ばし始めました。1940年、東西がつながり、国鉄二俣線に改称され、全線開業しました。

1980年、国鉄再建法によって廃止される予定でした。しかし、存続を求める声が大きくなり、第三セクターとして残ることになりました。JR が発足する半月前の1987年3月15日、第三セクター天竜浜名湖鉄道として転換されました。

一部施設が国の有形文化財に登録されている。

2011年、天竜浜名湖鉄道内の30施設が国の有形文化財として登録されています。39駅のうち、桜木駅、原谷駅、遠州森駅、遠江一宮駅、天竜二俣駅、岩水寺駅、宮口駅、金指駅、気賀駅、西気賀駅、三ヶ日駅の11駅が登録されています。中でも、天竜二俣駅は国の有形文化財を10施設も抱えています。

天竜二俣駅 

現在の駅舎は1940年に建設されました。天竜浜名湖鉄道の駅舎で最大です。本社、車庫、整備場も天竜二俣駅にあります。駅舎内にラーメン店「ホームラン軒」があり、浜松市天竜区の観光案内所も駅の東側にあります。

天竜二俣駅は国鉄時代から蒸気機関車の機関区として利用されていました。駅舎だけではなくプラットホーム、扇形車庫、転車台、事務所など10の施設が国の有形文化財に登録されています。

戦争と蒸気機関車時代の名残が色濃く残る駅舎

当時、戦争の真っ只中でした。金属は戦争のために回収されました。遠州地方は、山地に豊富な樹木が生えており、林業が盛んでした。遠州杉など木材を使って駅舎が造られました。

天竜二俣駅を見学できる2種類のツアー

天竜二俣駅では、2種類の貴重な体験ができます。洗車機体験ツアーと転車台見学ツアーです。2つのツアーを制覇するためには、午前、洗車機体験ツアー、午後、転車台見学ツアーに参加する必要があります。午前中に2つのツアーを申し込むことができません。

待ち時間は土日祝日限定の駅弁を食べたり、土曜日であれば、駅舎にあるラーメン店「ホームラン軒」でラーメンを味わったり、北側の山に向かって二俣の街を散策することがオススメです。

今回は、転車台見学ツアーに参加しました。

洗車機体験ツアー

土日祝限定で900円支払うと体験できます。定員が決まっており、予約が必要ですが、空いていれば、当日でも参加できます。

洗車機の見た目はガソリンスタンドなどにある自動車用の洗車機とほとんど変わりません。列車の洗車機を内側から見られる機会は貴重です。スケジュールの都合上、次回の課題として残ります。

転車台見学ツアー

土日祝は午前と午後1回ずつ、平日は午後の部のみ行われます。中学生以上600円、小学生以下300円で見学できます。

転車台見学ツアーでは、転車台だけではなく、機関区事務所も見学できます。

天浜線の歴史を学ぶことができる

事務所の奥に鉄道歴史館があります。かつて利用されていた機械、かつて行われていたコラボ企画の歴史が観られます。高度経済成長期の頃に使用された料金表を見ると、物価の変動を実感できます。現在の3分の1程度の運賃で電車に乗ることができました。どちらのツアーに参加しても見学できます。

車両基地

現役で走っている車両は15両です。天竜浜名湖鉄道は、列車です。軽油をエネルギーに変えて走ってるディーゼル車です。電車ではないため、車体の上にパンタグラフがありません。電車は、パンタグラフから電気を取り入れて動きます。

タイヤが車体に付いていても、電車です。2024年まで運行される立山アルペンルート、大観峰~室堂間を走る立山トンネルトローリーバスが、その例です。立山トンネルトローリーバスに乗ってきましたので、別の機会でお話しします。

2018年まで運行されていた黒部トンネルトローリーバス

天竜浜名湖鉄道所有の車両は、他社から譲り受けて改造したり、新規発注しています。TH XXXX形が基本の名前です。

TH2100形

基本は、白い背景に、オレンジ、緑、青の3色の線でデザインされた車両です。オレンジは、三ヶ日名物のみかん、緑は掛川名物のお茶、青は、浜名湖、天竜川の水を表しています。

ロングシート、ボックス席を完備しており、通勤通学だけではなく、風景をじっくり楽しみたいときにも対応していました。

宝くじ号 TH 9200形

青空の色、黄金色に見える装飾。花をモチーフにしたデザインも施されていました。一席一席が基本の広くとられていました。

コラボラッピング車両

アニメ、沿線の企業とのコラボ車両もありました。奥浜名湖駅にあるはちみつ屋さん「長坂養蜂場」が「BUNBUN TRAIN」、森町にある建築会社C Nexsusのコラボ列車が見られました。

アニメとのコラボが多かった

天浜線は、アニメとのコラボも充実していました。お土産、ラッピング車両で楽しむことができます。

2024年9月は、エヴァンゲリオン、ゆるキャン△、音街うなとのコラボ車両が走っていました。コラボによるお土産も充実していました。

エヴァンゲリオンでは、二俣本町駅周辺が「シンエヴァンゲリオン劇場版」という作品で第3村として登場します。2024年限定で二俣本町駅の駅標が「だいさんむら」に変更されていました。

音街うなは、音楽の街浜松を表現するために誕生した浜松市のキャラクターです。3年目の若手です。

博物館には、AKB48,どうする?家康など、過去にコラボしたことのある企画をモチーフにした展示されていました。

高架貯水槽

全体の高さは11.6m、貯水槽の高さは4.7m、直径7mと巨大な施設です。貯水槽には70tもの水を貯めることができます。開業当初からあります。SLは蒸気で走ります。1台で20tもの水が必要でした。貯水槽が高い場所にある理由は、水を滝のように落とすことにより、早く給水できるようにするためです。脚は6本地面に下ろしており、1944年の東南海地震では、耐えられました。しかし、倒壊の恐れがあったため、脚がコンクリートで太く補強されました。

井戸を掘って地下水をポンプによって汲み上げられて貯水槽に補充していました。

運転区事務室

木造平屋建て、1部2階建てです。二股機関区の事務室として1940年に年建てられました。洗濯所、事務所は現在も利用されています。浴槽は使用されておらず、ツアーで見学できます。燃料の石炭をくべると、顔や手が煤で汚れました。機関車に乗車した煤を落とすために業務が終わってから入浴していました。

中央に大きな浴槽、右奥に小さな浴槽の二種類ありました。洗濯場で煤だらけの作業服を洗っていました。ディーゼル車に切り替えた現在は、勤務中に入浴する必要がなくなり、使用されなくなりました。展示スペースとして活用されています。

機関車扇形車庫

1940年に建てられました。木造の車両基地です。建設当初は6線編成でした。現在は1~4号線のみ使用しています。5,6号は壊され、洗車台として活用されています。洗車機では洗えない前と後ろを洗います。

機関車転車台

SLは運転席が片方しかなかったため、自力で向きを変えられません。転車台に機関車を乗せて、回していました。機関車時代、豊橋駅、金指駅、掛川駅にも転車台がありました。しかし、列車は前後に運転席着いているため、転車台に乗せて回す必要がなくなり、撤去されました。2024年時点で、遠州浜名湖鉄道沿線では、天竜二俣駅にしか転車台がありません。

転車台見学ツアーでは、サービスのため、車両を乗せて1周半回していました。転車台は直径18mあり、1両ずつ回します。現在は電動で回していますが、完成当初は人力で操作していました。

足漕ぎトロッコ

社員が手作りした足漕ぎトロッコがあります。自転車のように、ペダルを漕いで小さな車両を動かします。鉄道利用者は無料、入場料払えば、誰でも利用できます。

天浜線の駅弁が味わえる

土日祝日限定で誰でも購入できます。10時に販売開始します。天浜線には、3種類の駅弁があります。助六弁当、まいたけ弁当、鰻どんこ(椎茸)弁当です。

今回は、まいたけ弁当を食べました。秋の主役は天然物の舞茸でした。大きさがバラバラなのが、天然物を物語っていました。

おかずが隠しコマンドみたいに埋め込まれていたため、見た目以上の満足感が味わえます。季節によっておかずも変わります。

メインは舞茸の炊き込みご飯でした。おかずとして、舞茸とレンコンの天ぷら、鮭の塩焼き、シュウマイ、クルミと川エビの佃煮、田丸屋のわさび漬け、筑前煮、さつまいもの天ぷら、安倍川餅が埋め込まれていました。

おみやげもユニークだった

天竜二俣駅には、売店もあります。売店では、天竜浜名湖鉄道オリジナルのお土産も揃っていました。線路の敷石が缶詰として販売されていました。


今回は、天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅を旅した話をしました。戦時中の物資事情、機関車時代ならではの構造を学びました。

2024年は鉄道分補給を一番のテーマとして旅を楽しんでいます。鉄道の日関係なく投稿しますので、よろしければ、いいね、フォロー、前向きなコメントいただけますと嬉しいです。

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