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厚岸の寺社仏閣を巡った。【厚岸の旅後編】

前回、厚岸駅で下車して、厚岸湖の北側で厚岸名物の牡蠣を味わった話をしました。厚岸駅名物氏家のかきめし、厚岸のブランド牡蠣マルえもんなどを味わいました。詳しくは下の記事をお読みください。

今回は厚岸旅の後編です。厚岸湖の南北の市街地を結ぶ厚岸大橋は、町のシンボルです。真っ赤な厚岸大橋を渡って北から南へ下ります。厚岸湖の南側は、古くから人々が住んでおり、江戸時代には中心集落として繁栄していました。厚岸湖の南側は、本土に似た寺社仏閣が観られました。

寺院周辺には、エゾヤマザクラが植えられており、5月上旬、ちょうど咲き始めていました。

正行寺

浄土真宗の寺院です。北海道の開拓に合わせて浄土真宗の布教のために開設しました。現在の本堂は、糸魚川市にあった満長寺本堂(1779年創建)を購入して厚岸に1911年、移築されました。北海道の気候に合わせて一部改築されています。隣には、同じ浄土真宗の寺院である教雲寺もありました。

国泰寺

江戸幕府によって建てられた臨済宗の寺院です。伊達市にある有珠善光寺、様似町にある様似等樹院に並ぶ蝦夷三官寺の一つです。蝦夷三官寺を建てた目的は、本土からの移民(津軽南部藩士、出稼ぎなど)の保護、アイヌ民族がロシアに接近することを防ぐためです。当時、千島列島まで南下していたロシアを警戒していました。北海道の太平洋側を幕府の直轄地して、幕府の役人を駐在させ、警護にあたりました。行政、交通の要所としても活用されました。

当初、根室港の付近に寺院が建てられる予定でした。しかし、厚岸港の方が温暖で穏やかだったため、厚岸に建てられました。江戸時代、厚岸港は北の要所として、道東で一番重要な港とされていました。バラサン岬に抱かれるように建てられています。バラサン岬の岩山に木々を植えることによって激しい北の波風から守られています。

徳川家の家紋である葵の紋が描かれており、格式が高かったことを示しています。

厚岸神社

国泰寺の隣にあります。1791年、地域の安定を願って前身の神明社が建てられました。天照大神が祀られています。赤色のトタン屋根が目を張ります。
厚岸町名物牡蠣をモチーフにしたオリジナルのおみくじがありました。おみくじについて、続きは道東地方の神社として、まとめて紹介する予定です。


その後、厚岸神社からバスで釧路へ戻りました。旅は釧路へ続きます。



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たびてく@一人旅ガチ勢
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