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2000円札の表の顔を訪れた。
今回は、首里城を訪れたときの話をします。首里城は、琉球王国の時代、政治、外交、祈り、王族の住居として建てられました。城の様式は本土とは異なり、独特です。入り口の守礼門は、2000円札の表の顔です。
24年前に誕生した2000円札
2024年7月3日、1000円、5000円、10000円札は新紙幣が発行されました。24年前の2000年7月19日、2000円札が発行されました。2000円札は沖縄サミットの開催、2000年を迎えたことを記念して発行されました。
2000円札から、透かし、小さな「ニホン」という文字以外に、お札を傾けると「NIPPON」という文字が浮かび上がるホログラム()偽札防止技術が取り入れられてました。当時の技術はアップデートされて、2024年に発行された新紙幣にも投入されました。
24年経ち、2000円札はほとんど見られなくなりました。しかし、現在でも、自動販売機など、日常で利用できます。
沖縄県内の琉球銀行のATMに行くと手に入る
沖縄県では、現在でも、地域通貨かと思わせるほど流通しています。琉球銀行のATMを利用すると、2000円札を引き出すことができます。枚数制限はありません。全部新札(ピン札)で卸すことができました。他銀行の通帳、キャッシュカードを利用すると、手数料はかかります。おみやげとしても、お年玉に渡してもよいです。しかし、知らない世代に渡すと、偽札と思われることもあります…
守礼門をくぐる
儀保駅で降りて、首里城入口という信号を渡り参道を歩くと、守礼門に入ります。守礼門は2000円札の表の顔に採用されました。16世紀に建てられました。ペリーが沖縄に上陸したとき、首里城に寄ったという記録も残っています。1933年、国宝に指定されています。太平洋戦争により焼失後、1958年に現在の守礼門ができました。
守礼門は、中華街にある門に似ていました。平安神宮、伏見稲荷大社などで観られる日本で一般的な朱色の鳥居より鮮やかです。
守礼門をくぐり抜けて本殿へ向かいました。
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首里城本殿
首里城は琉球王国時代(本土の室町時代)、歴代の王が住む場所と政治、外交、祈りの場所として利用されていました。御庭を囲むように、南殿、番所、北殿、書院など建物があります。正殿より西側は政治の場所、東側は御内原と呼ばれ、国王、親族、仕える多くの女性が暮らす奥の空間がありました。2階が王族の祈りの場として利用されました。屋根裏は風通しを良くして、暑さ、湿気を避けています。
正殿前の御庭で、年中儀式が行われました。御庭の中央は浮道とよばれ、首里で最も格式の高い聖地の首里森御嶽が見えるように、ラインが斜めに伸びているように見えます。当時は15cmほどの段差があったと言われています。浮道は、国王と来賓しか通れず、神聖な場所とされました。
首里城は沖縄戦により、焼失しました。防空壕、石垣に残る銃撃戦の跡から、戦争のすざまじさが見えます。戦後、首里城跡には琉球大学が置かれました。琉球大学のキャンパスが移転した後、1992年に復元されました。2000年12月、世界文化遺産に登録されました。
2019年10月31日未明、正殿、北殿、南殿が焼失しました。漆が引火しやすいかつ木造だったため、1時間半後には火に包まれました。首里城火災の第一報をTwitterで知ったときは、現実かどうか分からない状態でした。首里城に行くと、変形した龍、バラバラになった瓦が展示され、火災の激しさを物語りました。現在は、雨風から守るため、巨大なシェルターで覆われ、再建工事が行われています。
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日本と中国文化が融合した琉球建築の集合
鮮やかな朱色の本殿は中国の寺院みたいです。琉球王国が中国皇帝に配慮して竜の爪を4つにしています。正殿には外観に13体、一階に6体、2階に14体の合計33体の龍がいます。
一方、日本の神社で狛犬が見られるように、首里城では、金龍が阿吽の姿でペアになっていました。
首里城は正殿だけではない
石垣が高く、マチュピチュに似ています。琉球王国展望台から首里の城下町が一望できます。歴代の王が入浴していたお風呂もあります。井戸も残っていました。
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2026年秋、復興予定
2023年秋、首里城正殿の再建工事が始まりました。募金が行われていました。今回は、35年前の再現したときの図面、瓦の技術が残っていたため、わずか3年で復元する予定です。
日本の木材を使用
前回の復元では、タイワンヒノキが使われてました。しかし、台湾では、保護のために1992年の復元を最後に使用を認められませんでした。そのため、今回の復元工事では、ヒノキ、沖縄県産オキナワウラジロガシ、長崎県産イヌマキを中心に日本でとれる木材を利用します。
防災と景観の両立を図った設計
火災の教訓を元に、今回の復元では、建物の雰囲気は保ちつつ、最新のテクノロジーを駆使して防災システムを構築します。火災が発生したときに、建物を水のカーテンで包んで延焼を防ぐ仕組みを取り入れます。この技術は法隆寺にも取り入れられています。
2026年秋、首里城が再建されたとき、再び訪れます。
参考文献
松島泰勝,(2021) ,歩く・知る・対話する琉球学――歴史・社会・文化を体験しよう, 明石書店.
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