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アメリカ史オタクが教える「アメリカ建国史」が実は一番おもしろい理由

自分はアメリカオタクを自称しています。

ただよくよく考えればなぜ自分はアメリカが好きなのかをそこまで言語化したことないなーと思うので、noteに振り返りながら綴っていこうと思います。

アメリカの書籍たち


オタク歴:

振り返ってみれば、中高時代からアメリカの文化は好きで、そこまでは海外ドラマや洋楽を基本聞くよくいる10代だったと思います。ただ転機は大学一年の時に行ったサンフランシスコのホームステイで、とてもそれが楽しかったこともあり、わりと軽い気持ちで大学ではアメリカ文化を専攻するようになりました。

とはいえこの時も割と表層的なアメリカ文化や現代アメリカしか関心が向いておらず、岩波新書のアメリカシリーズは傑作だと思って何度も繰り返し読んでますが、1970-以降の③と④ばっかり読んでいました。

ただきっかけは思い出せないのですが、大学4年くらいにhuluでジョージワシントンの伝記ドラマを見たあたりから建国史にのめり込み、卒業旅行ではアメリカ東海岸の史跡をめぐるという旅をするまでになりました。

なので実は建国に手を出したのは一番最後です。ですが、この時代が最も面白く、一番飽きが来ないなーと思ってます。

なぜ建国史が一番面白いのか


哲学的な国

アメリカって哲学的な国だと思うんですよね。もちろんどの国家もある程度はそうだと思うんですが、その国の存在というのが限りなく理念的なものに立脚している。

ソ連なんかも理念によって打ち立てられた国でしたが、あれは帝政ロシアの上に築かれたものでした。ただアメリカはヨーロッパ人(の負け組たちが)旧大陸では実現できなかったことを実現しようとして人工的に打ち立てた国です。

別にアメリカという国を定義しているのは、そこにずっと住んでいる民族でも、人種でもなければ、宗教でもない。もっと言えば英語でもない。合衆国憲法や独立宣言で謳いあげられた理念です。ただご存知の通り、その高邁な理念を実現するために現実とのギャップに苦しみ、その度に南北戦争や公民権運動という暴力的な手段で解決してきたわけです。

その「理想」と「現実」の対立と弁証法的発展。つまりヘーゲル的な理念(テーゼ)と現実(アンチテーゼ)の対立から、新たな合意(ジンテーゼ)が生まれるというのを激しく繰り返しながら成長してきている国だということを深く考えていると、アメリカという存在がもっと国家とかではなく哲学的なもの、抽象的な存在に見えてきます。その国家の一番深い本質的なところが知れるのが建国期だと思います。


実験としての国家

アメリカに10回近く行ってますが、その度にこの国家はある意味いろいろな問題を孕みつつも、人類が辿り着いた多文化共生モデルの壮大な実験場だなと感じることがあるんです。UCバークレーのオリエンに行けば中国人だらけですし、シカゴに行けばソマリア人コミュニティがある。ワシントンDCのど真ん中にチャイナタウンがあれば、わずか公民権運動から半世紀で、かつ9.11からたった7年足らずで、フセインをミドルネームに持つ黒人大統領の誕生する。

こうした極端な多様性とダイナミズムを孕みつつも、アメリカは人類史上到達することのできなかった最強の超大国の地位を勝ちえ、今後もあらゆる面で世界を牽引する存在であり続けると思います。

これを実現している現在の政治システム、つまり連邦制と共和国がいかに成り立ったかをみるのは、何年向き合ってても飽きない深い本質的なテーマだなと思いますし、いかにギリギリのところで、最初は建国の父たちが納得してないような形でできたこの制度が進化してきたかを見ることは学ぶことの多いテーマだと思います。

そのため建国史をつぶさに観察することは、もっと歴史を超えた「国家とは何か」「社会とは何か」を問う存在論的な意味を我々に問うてくれるものだと思っています。


アメリカ人の精神的なアイデンティティ

日本人が日本人であること、日本列島に住んでいるということは疑うことがあまりない(少なくともそういうきっかけのない)所与の事実だと思うんですが、アメリカの場合って「アメリカとは何か」「アメリカ人とは誰か」といったアイデンティティがたびたび議論されるわけです。

西部を開拓しきり太平洋に到達すると、次はどこが我々にとってのフロンティアになるか悩み、宇宙や深海に興味を見出す。アメリカ人には「人間はどこへ向かうべきか」「人間は自己を超越する存在であるのか」という存在論的な悩みがつきまとうわけです。そういった悩みから生まれた、常に境界を超え、新たなものを探求するこの精神が、アメリカを超大国に押し上げた原動力でもあるわけですが(もちろんその裏にはとても激しい暴力性が潜んでいます)、そのアイデンティティがどう形成されたか、どういうものに彼らのアイデンティティは立脚してるかを知ることは、日本にはあんまり馴染みのないものなのでとても面白いです。

なんでそんなとこに悩むのか、アメリカ人とツッコミを入れたくなる時もありますが、そういうところがまた面白いですね。


まとめ

こういう見方ってある意味アメリカ在住でもなければ、アメリカ人ではないからこそできる外から見た楽しみ方だと思うんですよね。

アメリカを単に国家としてみるのではなく、哲学的な理念の実現する場所として捉える。建国史を単なる事実や出来事の羅列ではなくて、理念と現実の対立や、文化的融合と政治的実験の舞台として捉える。自分は哲学的なものはあまり詳しくないですが、そういうところを入り口にして自分に哲学というものを教えてくれる存在なような気がしています。

きっかけは割と現代アメリカでしたが、アメリカの本質を探求しようと思っているうちに、割と必然的に建国史にたどり着いたのかなーと思ってます。





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