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共感性羞恥

ワタクシは【共感性羞恥】の持ち主である。

【共感性羞恥】…あまり耳慣れない言葉かも知れないが(Wikipediaを確認して見たら【共感性羞恥】の項目が作られたのが2023年6月の事だった)それも道理、この名称が生まれてから恐らくそんなに長い年数は経っていなかった筈だ。長い間、名前もなく事象だけが知られていた概念なのである。

共感性羞恥と言う事象を巧く、簡潔に説明するのは難しい。
判りやすく一例を述べるなら…。

あなたの目の前で、テレビがバラエティ番組を流していたと仮定しよう。
その番組内で恐らく誰かひとり、出演者が酷い目に遭わされたり、或いは嘲笑の的にされていたりするだろう。それを見てもしもあなたがいたたまれなくなったり、自分の事のように苦痛を感じたら、それが共感性羞恥と言う事象である。

近頃は少し範囲が広がり、臆面もなく不埒な、不道徳な振る舞いをする人間を見て我が事のように苦痛を感じる事象も【共感性羞恥】の範疇に含められるようになった(厳密にはこちらは【観察者羞恥】と言う呼び名があるらしい)。

近頃のテレビ番組は上記に挙げたような、特定の誰かを貶める内容のものが多い為、ストレスがマッハに達したワタクシは堪りかねてテレビを捨てた。現在も我が家にテレビは無い。ニュースはネットでチェック出来るし、見たい映像(主に動物関連)はYouTubeチャンネルがあれば事足りるので、今のところ不便は感じていない。

有名どころだと、確かタレントのマツコ・デラックスさんが共感性羞恥である旨をカムアウトされていたかと記憶している。

ワタクシはこの共感性羞恥と言う概念が自身の中にあるが故に、少しばかり厄介な事象を生じている。どうか笑わないで聞いて欲しい。

それは【漫画(特に成人向け漫画)の登場人物が酷い目に遭うと感情移入してしまい、そこから先に読み進めなくなる】と言う事である。
何も作品に対し否定的な立場を取る訳ではない。ただ、自分がその作品を手に取る事が出来ないと言うだけである。

まだ若い頃は、例え目の前に出された作品が成人向け漫画(男性向け・女性向けの別は問わない)だろうが何だろうが、特に登場人物に感情移入する事は無かった。…が、年齢を重ね、更に共感性羞恥の自覚を得てからそれが一変した。
特に性暴力描写が出てくるともういけない。
動悸がする。
脈が乱れる。
自分の事のように苦しい。つらい。
…そして、それ以上見ていられずそっと漫画のページを閉じる。

何度もこんな事を繰り返す内、いつか本屋の漫画のコーナーは久しくワタクシとは縁遠い存在になった。因みに官能小説は元々読まないのでどんな反応が出るか試した事はないが、無理に試す必要もないので官能小説のコーナーにも久しく近寄っていない。

繰り返すが、ワタクシは前述のジャンルの作品の存在そのものを否定するつもりは毛頭ない。ただ自分が受けつけないから遠ざけているだけである。
読書自体は好きだ。だが自分の心の平穏を自ら乱して前述のジャンルを読む位なら、いっそワタクシはもっと精神的に負担の少ない書籍を選ぶ。

そう言えばワタクシは、子供の頃から図鑑や辞典が大好きだった。幼き日のワタクシは、無意識の内に、本能的に自らの心がダメージを受けない書物を取捨選択していたと言う事らしい。ワタクシが共感性羞恥の自覚を得たのは、ある意味必然だったのだろうか。

付記

共感性羞恥で思い出した苦い思い出をひとつ。

以前、自宅近くの食堂で昼食を摂っていた時、タイミング悪くテレビが昼ドラを映し出した。そのいちシーンが、悪徳令嬢が破落戸を雇って主人公の女性を拉致し、集団暴行すると言う内容だった。
飯が不味くなって眉間にシワを寄せていると、店の女将がそれを見てゲラゲラ笑いだした。

「たかがドラマじゃない。何もそんなに露骨に嫌な顔をしなくても」

ワタクシがその店に行くのをその日限りで辞めたのは言うまでもない。

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