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【掌編】迷惑老人

「…」
昼間のだるような暑さが和らぎ、涼しい夕方の風が吹いて、長々とうたた寝していた僕は目を覚ました。蝉の声もすっかり静まり、何処かでカラスが鳴いている。僕は酷い空腹感を覚え、バッテリの量が50%にまで減ったスマホを手に立ち上がった。夕飯の買い出しに行く為に。

松葉杖に縋って向かった近所のコンビニエンスストアには、タイムセールを狙ってかいつもより多くの買い物客が来ていた。陳列棚に並ぶ品も残り少なく、商品によっては棚が空っぽになっている。
僕は値引きシールが貼られた蕎麦と、豚こま肉と、サラダを籠に入れてレジに続く列に並ぶ為に動き出した。
不自由な足を引き摺り、広くは無い通路をそろそろ歩くと、工事現場帰りと思しきタオルを頭に巻いた屈強な若者達が「どうぞ」と道を譲ってくれた。
この街に住まう若者なのか、はたまた外の街から来たのか判らないけれど、その表情は柔和で穏やかだ。ひと仕事終えた安心感もあるのだろう。

レジの待機列に並び、静かに順番を待つ。
…然しその沈黙は、突然破られた。

「おい!俺が先に並んで居たんだぞ!」

レジの待機列とは別の通路に、底意地の悪そうな顔をした老人が杖を片手に怒号をあげている。どうやら待機列がある通路と自分が立っている場所が違う事に気づいてないらしい。

買い物途中の若者達が集まって来て、老人を宥めにかかった。
「おじいちゃん、レジの待機列はあっちだよ」
「みんな順番で並んでるからね、おじいちゃんも順番は守ろうね」
「ふざけるな!俺はあそこで並んでいる奴らよりも前に此処で待ってたんだ!」
「良いからおじいちゃんも列に」
「触るな!俺は足が痛くてあっちまで行けないんだよ!」
老人が杖を振り回した。幾つかの商品がそれに当たって床に落ちた。
「おじいちゃん、落ち着いて」
「煩い!だいたいそこに居るお前、いつそこに並んでいた?俺より後だったろうが!」
老人の怒りは何故か僕や、その後ろに並ぶ買い物客に向けられる。

レジを担当していた若者が、慌てて他の店員を呼ぶ為のベルを鳴らした。
幾許かの間隔の後、【STAFF ONLY】と書かれたドアの向こうからコンビニの店長が険しい顔をして飛び出して来て、もう片方のレジに入った。

「お次の方、どうぞ」

店長の声に、僕の前に並んでいた買い物客が動こうとした瞬間。
あの老人が、さも当たり前のような顔をして店長が入ったレジに買い物籠を置き「早くしろ!散々待たせやがって!」と怒鳴りつけた。

店長は顔色ひとつ変えるでも無く、淡々とレジの処理を済ませ、会計を促す。老人はその間中、ずっと悪態をつきながら杖を何度も床にガツガツ叩きつけて居た。
会計が終わった後も、老人は何やら散々怒鳴り散らして居たが、やがて買った品物をエコバッグにしまうと、杖が必要な身の上とは思えぬ足取りですたすた歩いて店の外に出た。

店長が僕の顔を見て「こちらのレジへどうぞ」と言う。
僕が松葉杖をつきながらレジに近寄ると、店長は僕が持っていた買い物籠を受け取ってレジ台まで引き上げてくれた。そして品物のバーコードをスキャンする合間に、ぼそっとこう言った。

「毎度の事なんですよ、あのご老人」

どうやら筋金入りの迷惑客らしい。
「そうなんですか」と間の抜けた返事をした僕に向かい、店長は少しだけ眉間に皺を寄せた。

「嗚呼言う、ごくごく一部の迷惑老人の為に、他の礼儀正しいお年寄りまで悪く言われるのは良くないですな。反面教師ですよ。…あんまりこんな事を言いたくはないですがね、嗚呼言う底意地の悪い老人に限って、神様からも仏様からも嫌われて長生きするものだから」

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本日夕食の買い出しの時に実際にあった出来事を、掌編風にまとめました。末尾の店長との会話は創作ですが、他はほぼ実体験です。

このような老人がごく一部だと言う事は、勿論承知しています。ワタクシがお会いしたお年寄りの大多数は、礼節を弁える素晴らしい精神の方ばかりです。こう言った迷惑な人間は、世代は関係無く偏に生まれが悪かったのだろうと思います(なので、腹立たしいと言う感情は不思議と湧きませんでした)。

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