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【掌編】悪い神

「ただいま」

寂れたマンションのドアを開け、僕は帰宅を知らせる声を発した。恋人のナオミが台所からパタパタとスリッパを鳴らしながら出てくる。
「おかえり。それで、今日はどうだった?」
ナオミの言葉に僕は黙ったまま背負ったリュックを降ろし、チャックを開ける。中からは缶詰やレトルト食品のパックが転げ落ちた。
「このマンションのある区画から歩いて20分位の位置にある旧ショッピングモール。そこの地下室にこいつがストックしてあった。ガイガーカウンターで放射能汚染をチェックして見たが、人体に悪影響を及ぼす放射能は検出されなかったよ。他のメンバーと等分に分けて持ってきた。これで暫くは喰い繋げるだろう。それと…」
今度は手にぶら下げたエコバッグを降ろす。中にはカブに似ているが、表皮がゴツゴツした根菜が幾つも詰まっている。
「本日の食料品探索を企画した人が教えてくれたんだ。こいつを加工すると澱粉が取れるらしい。…最も、水を多く使うから、あまりオススメはしないと言われたけどね」
「まぁ。この時代に随分としたたかな植物ね。…そうね、いざと言う時の救荒食と言う事にしましょうか」

あれは何年前の話だったろうか。

何処の国で起きた事故だったかもう定かじゃ無いが、核ミサイルの大規模な暴発事故が起こり、ユーラシア大陸の大多数は炎に包まれ放射能に汚染された。事故が起きた国は勿論、周辺各国は多分全滅だろう。噂ではヒトも動物も棲めない荒涼とした瓦礫まみれの原野が果てしなく広がるばかりらしい。
そして被害が最小限に留まった僅かな国では、生き残った人間が日毎に深刻になる放射能汚染と闘いながら、一日でも生き延びる為に活動を繰り広げて居た。

玄関の鍵を締め、防護服を脱いで着替え、リビングに至る。ナオミは、タンポポの根で作られた代用コーヒーにコンデンスミルクを混ぜたカフェオレらしき飲み物…このタンポポコーヒーもコンデンスミルクも、今日の缶詰やレトルト食品と同じようにショッピングモール跡から"発掘"したものだ…を用意してくれた。ソファに座り、ひと口啜る。

ギャン!

外で大きな声がした。
「やだ、またあのおかしな動物だわ」
ナオミが表情を曇らせたので僕は窓辺に出た。レトリバー犬位のサイズの、四肢が細くツノがあり、口から牙がはみ出した動物が数頭、アスファルトを割って伸びるサボテンを齧っている。
動物に詳しい知り合いによると、あの動物は何処かの国で核ミサイルの扱いをしくじった日…【メギドの日】と呼ばれている…より遥か前に別の国から観賞用に持ち込まれたとの話だった。【メギドの日】以前、あの動物は小型犬位の大きさしか無く、ツノも短かったらしい。それがあそこまで大きくなったのは、矢張り放射能の影響なんだろうか。

フガーッ

突然、別な動物の声が響いた。
見ると、今は使われなくなった廃屋の庭から体長2メートルは下らない大きな黒い毛の動物が、物凄い勢いでサボテンをかじる動物達に向かって駆けている。明らかに彼等を獲物にする気満々だ。

一瞬の出来事だった。

黒い毛の動物は、サボテンをかじっていた動物の1頭を力任せに引き摺り倒すと、胴体を前脚で押さえつけて頭に噛みつき、力任せに顎を高く持ち上げた。ゴキッと言う鈍い音と「ギャン!」と言う短く鋭い断末魔と共に、サボテンをかじっていた動物は絶命する。残りの個体はあっと言う間に逃げた。
黒い動物は、獲物を咥えるとそれをズルズル引き摺りながら、元居た廃屋の庭へと戻る。ほんの少し…髪の毛一本分だけ窓を開けて聞き耳を立てると「バキ!バキ!」と骨を噛み砕く音が響いた。

「…ウェンカムイだ」

僕は窓を直ぐに閉め、思わず呟いた。

動物に詳しい知り合い曰く、ウェンカムイとは【メギドの日】により失われたとある国の先住民の言葉で「悪い神」と言う意味だそうだ。
ウェンカムイは、肉でも魚でも植物質でも、何でも食べる悪食な獣だ。時にはその献立に人間が含まれる事もあるらしい。そんな彼等の貪欲な習性が知られるようになって以来、生き残った人間は彼等に失われた先人の言葉に由来する名をつけた。

「…まさか、我が家の近所にウェンカムイが住み着いたとはね。直ぐにコミュニティのリーダーに連絡しなくちゃ。警戒レベルの引き上げと、駆除の要請が必要だ」
「でも、食糧品の探索が最優先事項とされている今、害獣駆除に人員を割いてくれるかしら」

ナオミの心配は最もだ。ウェンカムイの名の由来たる今は無きとある国では、ウェンカムイのもととなったと言われる野生動物が一時期増えて、人里にまで降りて諸々の害を為していたと聞いた。なのに政府は駆除に駆り出されるハンターの待遇を著しく低く見積もり、それに憤慨した多くのハンター達の離反を招いたのだそうだ。今、僕達が居るこの大陸のコミュニティで、同じ事を提唱する奴が居ないとは限らない。現場で起きている事件を伝聞でのみ知り、机上の空論を振り翳す奴はいつの時代にも居るものだ。

「ダメ元で連絡してみよう。駆除に成功したら警戒レベルを引き上げずに済むばかりか、肉を食糧に転用出来るかも知れないし」

僕がそう言って無線通信機に手をかけると、また別の動物の吠え声がした。

ワン
ワン
ワン

数頭の野良犬が、ウェンカムイを取り囲み牙を剥いて吠えている。
ウェンカムイは煩わしそうに暫く抵抗を示していたが、敵わないと見たのか食べかけの獲物を置いてその場から逃げ出した。それを野良犬の群れが追う。

僕はもうひとつ、ある事を思い出した。
今は失われたあの国では、野の獣を人家に近づけない為に犬を放し飼いにする風習があったと言う事を。

「…ウチでも、犬を飼う?ウェンカムイ避けに」

遠ざかるウェンカムイの姿を見送りながら、ナオミがぽつりと呟いた。

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