ワタクシが周囲に対し、自身の性自認をアセクシュアルだとカムアウトするようになったのは、自身がアセクシュアルだと自覚するようになって3〜4程経過した頃の事じゃなかったかと思う。
流石に最近はあまり言われなくなったが、嘗てワタクシはアセクシュアルである事を周囲にカムアウトするまで(いや、何ならカムアウトした後も)何度も身近な人間から、
「何故結婚しない!」
「何故恋人を作らない!」
「人間は独りでは生きられない!」
…などと繰り返し強い口調で責め立てられる日々を過ごしていた。
その度に「興味無いし…」とお茶を濁す事数知れず。そしてワタクシがやんわり結婚や恋愛に興味がない事を示すと、相手側は更に語気を強める…毎度そんな感じだった。
こうした発言は、一説にはアセクシュアルと言う概念が比較的新しい成立である事、そしてそれ故にマジョリティにも他の性的マイノリティにもアセクシュアルの概念が理解されていないからだと聞いた。それあらぬか、アセクシュアルはマジョリティは愚か、LGBTと大別される他の性的マイノリティからも差別を受ける事が多いそうである。
差別とまでは行かずとも、アセクシュアルが単に【出逢いが無いばかりにたまたま恋愛を知らないだけ】と考えるマジョリティはかなり多く、ワタクシも過去に「良い出逢いがあればきっとアセクシュアルと言う自覚が幻想だって判るわよ」などと言われた事が少なからずある。
そうした発言の中でも最もムカついたのは、初対面の人物に以下のような言葉を浴びせられた事である。
「お前はアセクシュアルと言う概念を言い訳にして、自分磨きから逃げている」
言われた時は本気で殺意が沸いた。
なけなしの社会的地位を失いたくないので、流石に手を出すのは堪えたが。
ワタクシ自身はこれを所謂【差別】と感じた事は無い。元々面の皮が厚いからだろう。勿論人によっては十分差別と受け取られる要素なので、当マガジン読者諸兄に置かれてはまかり間違ってもそんな言葉を当事者に浴びせたりしてはいけない。
どちらかと言えば、ワタクシが感じたのはストレスだった。それもかなり重めの。
ワタクシの母方の親戚が、石川県の珠洲に住んでいて、いつだったかまだワタクシが親元に居た頃、家族が招かれて一週間ほどその親戚を訪ねた事がある。
ワタクシは仕事の都合で行く事が出来ず、ひとり留守番をする運びになったのだが、その際父母に同行したワタクシの兄は、当時独り身だった事を親戚一同に激しくなじられ、帰宅した時にはぐったりと疲弊してしまっていた。
地方都市の旧家あるあるである。
兄からその話を聞いたワタクシは恐怖で背筋が寒くなる思いがした。
その親戚とは、結局ワタクシは対面する事無く今日に至る。
だが、対面していたら、そして今も行き来があったらと想像するとそれだけでもう胃がキリキリ痛くなる。
恐らく親戚達は、ワタクシがアセクシュアルだとカムアウトしても毛筋程も理解はしてくれないだろう。それこそ前述の、初対面で暴言を吐いたあの痴れ者と同じ台詞を吐かれるかも知れない。
ところで、肝心の我が両親にワタクシがアセクシュアルだとカムアウトしたのはこの記事を書くより4年位前だったと記憶している。
嘗て奉職していた職場はダイバーシティ(社会的多様性)を重んじる社風で、性的マイノリティに対しても排他的な態度を取らず、寧ろ「もっと胸を張って生きろ」と背中を押してくれる、そんな企業であった。
その社風に後押しされ、いつか母が「孫の顔が見たい」とお定まりの台詞を吐いた際に勢いでカムアウトしたのである。
ワタクシのカムアウトには母も流石に驚いたようだったが、元々女運が薄い事を悟って居たらしく、言葉少なにこう返答して来た。
「もしかしたらね、アンタがそんなセクシャリティなんじゃないかと疑っていたのよ」
その言葉を最後に、母は二度と「孫の顔が云々」とは言わなくなった。
悪い事をしたと思う反面、少なくとも母からは前述の苦痛に感じる言葉を浴びせられなくなったので、勇気を以てカムアウトして正解だったかな…と今は思う。
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