【小説】桔梗【ついなちゃん二次創作】
日本の何処かにある、大きな窟。
その窟から姿を現したのは、黒髪の小柄な和装の少女と、何処と無く両棲類を思わせる顔つきに焦茶色の着物を身に着けた壮年男性だった。
「ハンザキ。もう少し男前に化けられなかったのか」
和装の少女が眉を顰める。
壮年男性…歳ふりし大山椒魚の妖怪・ハンザキは決まり悪そうに頭を掻いた。
「未だ修行全からずして、美男子に化ける事が出来ませぬ。蟇のような爺になるのが手一杯で御座います、姫様」
「何が『修行全からず』じゃ。何年生きて今があると思う」
和装の少女は、そう言うと窟の周りに生えた秋草に視線を落とした。薄紫色の五弁の花が今を盛りと咲いている。
「今年も桔梗の季節が来たの」
「左様で」
少女は、憂いを含んだ表情でしゃがんで桔梗の花々を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「父様が終焉を迎えた秩父の地は、未だに桔梗が花をつけぬのかの」
「今も秩父の地に、桔梗の花は咲かぬと聞きまする」
「そうか」
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平安の世。
貴族の台頭により退廃した朝廷に怒りを抱き、自ら【新皇】と名乗って関八州に新たなクニを作らんとした猛将・平将門は、武蔵国は秩父・城峯山の戦場で、巷説に俵藤太として知られる武将・藤原秀郷に捕縛された。
その際、将門に瓜二つな影武者の武将が同時に七人、自ら「将門である」と名乗って縛についた。
秀郷の配下の武将には「八人まとめて首級を刎ねるべきだ」と乱暴な意見を言う者も少なくなかったが、秀郷はその意見を退けた。七人の影武者が、将門の為に己が命を捨てる選択もいとわぬ事に気後れした為だった。
そんな折も折、将門の陣屋でひとりの女性を捕らえた者があった。
女は自らを【桔梗前】と名乗った。将門の側女のひとりだと言う。
桔梗前を捕らえた武将は「拷問にかければ何か得られるかも知れません」と鼻息荒く息巻いたが、秀郷はそれを激しく叱責して退けた。
そんなやり取りの後。
夜更け、桔梗前が秀郷に話があると告げた。
秀郷が陣屋の裏に桔梗前を呼び寄せると、桔梗前は涙を流しながらこう述べた。
「今から妾が事の一切を話しましたら、即座に妾の首級を刎ねて下さいまし。妾は、将門様の黄泉路の案内をする覚悟で御座います」
「そなたの命と引き換えに七人の影武者の命を赦せ…と申すか」
秀郷の言葉に桔梗前は頷く。そして、桔梗前は秀郷に向かい静かにこう告げた。
「…食事を召し上がる時、こめかみが能く動く方が、本物の将門様に御座います」
同時に桔梗前は、小刀を取り出し自らの喉に突き立てた。
秀郷は、血の海に横たわる桔梗前を見下ろした後、大声でこう呼ばわった。
「八人に食事をもて!」
そして翌朝。
将門は首級を刎ねられる直前、桔梗前の首級が晒されているのを見て、たったひと言呟いた。
「秩父の地に、桔梗あれども花咲くな」
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「…そう呟いて、父様は秀郷に首級を刎ねられたのじゃよ」
少女は、一筋の涙と共にハンザキを振り返った。
「桔梗前のしでかした事を怒ったのか、己の命を賭して七人の影武者を救けんとした心情を慮ったのか。それは知らぬ。…だが、父様が討たれた後、確かに秩父の桔梗はふっつりと花をつけなくなった。それよりこっち、わらわは桔梗の花を見る度に酷う切なくなるのじゃ。父様と桔梗前の事が思い出されてな」
ハンザキはかける言葉が見つからなかった。少女は、拳で涙を拭った。
「然し、父様の命は無駄に散った訳では無い。父様の志は、その後多くの武士に引き継がれ、魂を奮い立たせる事になった。貴族により腐敗した朝廷は廃され、武家が日本の政を取り仕切る事になった。時流れて、父様の御霊は関八州の守護を司る荒神として祀られるようになった。江戸神田の明神には令和の今も参拝の客が引きも切らぬと言う。そして、わらわは…」
少女は立ち上がった。
「今は異界【根乃國】の主じゃ。…父様の名に泥を塗らぬよう、わらわも励まねばのう、ハンザキ」
「御意」
少女…将門公の忘れ形見・滝夜叉姫はハンザキと共に、昇る朝陽に目を細めた。