見出し画像

【小説】終わらない物語【ついなちゃん二次創作】

果てしなく続く紺碧の空、綿を千切ったような雲。
白い砂浜。
遠浅の渚には穏やかな波が寄せては返す。
波打ち際から少し離れた森には、椰子や芭蕉と言った南国の木々が高い梢から葉陰を作る。

此処は、次元の壁に隔てられ護られし絶海の楽園・小蓬莱島しょうほうらいとう
元人間の精霊、龍熊子貊りゅうゆうし ばくが身を置く常春のそので、様々な神格や精霊の通り道に当たる場所である。

その白い砂浜の一角、大きな岩が突出したその頂に、ジャンガリアンハムスター位の大きさのパンダのぬいぐるみがちょこんと腰を降ろしていた。その瞳はつぶらで、短い手足と相俟って雰囲気がまるで小さな子供のようだ。

「此処に居たのか、モネ」
浜辺の森からそんな台詞と共に現れたのは、背丈が2メートル近い巨大なパンダのぬいぐるみだった。鳶色の団栗眼と毛糸で編んだ緑色の帽子が特徴的で、その声はのんびりとした雰囲気の青年のそれだ。
「ムーンおにいちゃん」
モネと呼ばれた小さなパンダのぬいぐるみは、大きなパンダのぬいぐるみ…ムーンを振り返った。その声は、見かけにたがわず幼い。
「ひとりでこんな場所に居ると危ないよ。家の中に入ろう」
「おじちゃんが かえってくるまで ボク ここで まってる」
「飼い主は現世うつしよ渡りをしたから暫く戻らないよ。早くて夕方になるんじゃないかな。ほれ、良い子だから家の中に入りなさい。トンビにでも攫われたら大変だ」

ムーンとモネは、貊の数多い扶養家族の一介である。
貊が養う扶養家族の中でも取り分け貊との付き合いが長く、その始まりは貊が人間であった頃にまで遡る。中でもモネの懐きようは頭ひとつ抜きん出ていて、貊を【おじちゃん】と呼び父親のように慕う。
他方、同じく貊との付き合いが長いムーンは"飼い主"たる貊に対する遠慮の無さ、馴れ馴れしさが激しく、しばしば貊の事を【バ飼い主】と呼んでその言動を諌めて憚らない。同時にムーンのそうした態度は、貊との深い絆の裏返しでもあった。

ムーンの言葉にもあるように、この瞬間とき、貊は現世渡りを敢行して小蓬莱島を留守にしていた。モネは寂しさに駆られて外で貊の帰りを待ち、森に食糧調達に出ていたムーンに見つかった訳である。

観念したのか、モネはムーンが差し出したもこもこの手の上にぴょこんと飛び乗った。ムーンはモネを掌に乗せると、お定まりの台詞でモネをあやす。
「あー、モネはかわいいな、モネはかわいいな。目に入れても痛くないなー」
そして、掌の上のモネを自分の眼窩ギリギリまで近づけ「痛い痛い痛い痛い痛いー」と結ぶ。モネはそれを聞いてキャッキャッと歓声をあげ喜ぶ。いつもの平和なひと時である。

そうやってモネをあやしていたムーンが、ふと砂浜に視線を移す。
そこには、外見年齢10歳位の、ひとりの童女が立っていた。
翠色の長い髪をシニヨンにし、余った髪を背中に流して、鈴蘭の花のような髪飾りをつけている。白い上衣に翠色の袴と言う巫女装束で、足には白い足袋とぽっくり下駄。瞳は青空を丸く切り抜いたように輝いている。然しその表情には深い憂いの色が浮かび、大きな目は涙に潤んでいた。

「ムーンおにいちゃん あのおんなのこ」
モネも突然の【来客】に気がついたらしく、小さな声で囁いてムーンを見上げた。ムーンは目をしばたかせた。
「珍しいお客様だな。然し、良くこの場所が判ったモンだ」

ムーンはモネを掌に乗せたまま、大股でその童女の傍まで歩み寄った。
鈴乃すずのちゃんじゃないか。久し振りだね。元気してた?こうして会うのはいつ振りかなぁ」

小蓬莱島に突如現れた翠の髪の童女。
その正体は、日本のとある場所に聳える神木【すずの木】の精霊・鈴乃であった。
貊は生前、鈴乃が宿る【すずの木】を内包する神域に取材の為に何度も足を運んでおり、鈴乃とはある意味、顔見知りであった。

「ムーンさん…モネちゃん…」
鈴乃は目にいっぱい涙を貯めてムーンの顔を見上げていたが、とうとう堪えきれなくなったのか、大声をあげて泣き出した。
「うわぁあああああん!!」
「どうしたの鈴乃ちゃん!落ち着いて。一体全体何があったのさ」
「鈴乃は…鈴乃は……独りぼっちになってしまったのです…うわぁあああん」
「あわわ…本当に何があったんだろ」

泣きじゃくる鈴乃を宥めるムーン、びっくりして言葉を失うモネ。
その背後に、不意にひとりの若者が現れ、虚空からスマートに着地した。
癖毛気味の髪に眼鏡、ジャケットとジーンズ、スニーカーを着用した、顔色の冴えない若者…小蓬莱島に住まう元人間の精霊・龍熊子貊である。

貊は、モネとムーンの前で泣きじゃくる鈴乃の姿を見て目を丸くした。

「御無沙汰しております、鈴乃さん。然し…良くこの島の場所が判りましたね」

鈴乃は一瞬泣き止み、貊の顔をまじまじと見て、次の瞬間、頓狂な叫びをあげた。
「テクパンさん!?」
…甚だ余談だが、【テクパン】とは貊が生前用いていたハンドルネームである。
「テクパンさん、こないだまでお爺ちゃんだったのに、どうしてそんなに若返ったですか!?」
「…嗚呼そうか、鈴乃さんは僕が人間としての生を全うし、精霊に転生した事を御存知無かったのですね」
人間として鈴乃が住まう神域に取材に訪れていた当時の貊は、既に還暦を過ぎた白髪白髯の老爺だった。それが暫く見ない内に若返っていれば、驚かれるのも無理はない。

貊は自分が人間としての生を全うした事、そして死後に小蓬莱島に魂が導かれ、精霊として新たな命を得た事を掻い摘んで鈴乃に説明した。暫くの間、貊の話を不安気な顔で聞いていた鈴乃は、貊の言葉が終わるや否や、ポツリと呟いた。

「…気がついたらゆきちゃんも、広葉くんも、ついなちゃんも…みんな居なくなってしまったです」

鈴乃が列挙したのは、全て嘗ての鈴乃の朋友ともの名だった。
【ゆきちゃん】とは、神奈川県は厚柿市あつがきしでも知られた名家の令嬢にして、雪女・ユキの魂をその身体に宿す少女、風花かざはなゆき。
【広葉くん】とは、平安時代最強の陰陽師・安倍晴明あべのせいめいの末裔で、自身もまた陰陽師である少年、安倍広葉あべ ひろは
そして【ついなちゃん】とは…。
平安時代最強の剣豪・鬼一法眼きいちほうげんの子孫にして、嘗ては悪鬼を払い魑魅魍魎と闘う戦士…【方相氏ほうそうし】だった少女、如月きさらぎついなの事である。

(懐かしい名だ)
貊は一瞬だけそう脳裏で呟きかけ、ぽろぽろ涙を零す鈴乃を見て痛ましげな顔つきになった。幽世に縁が深いとは言え、ゆきも広葉もついなも皆人間、精霊よりも遥かに寿命が短い。
貊が精霊になってから、多分現世では相当長い年月が過ぎている。恐らくゆきも広葉もついなも、全員天寿を全うしているのでは無いか。そして鈴乃はその事を知らぬまま、たったひとり、神域でひっそりと朋友を待っていたに違いない。

「折角みんなと友達になれたのに…鈴乃はまた独りぼっちになってしまったのです…」
鈴乃は、両手で顔を覆った。
「鈴乃さん…」
何と言葉をかけて良いやら判らず、視線を泳がせた貊は、鈴乃が立つ場所より遥かに遠く、砂浜にひとりの少女が立っているのに気がついた。
真珠色の見事な長髪をツインテールにし、赤と黒と橙色の和洋折衷の戦装束を身に纏い、額には金色の目が四つ光る鬼神面。足には高下駄、手には矛を握り締め、その瞳は琥珀色に輝いていた。

貊は愁眉を開き、鈴乃の肩にそっと手を置いた。そして、鈴乃の後方に立つ少女を指し示した。

「心配には及びません、鈴乃さん。少なくとも…ついなちゃんならほら、あそこに」

貊が指差す方角に立っていたのは、生前のついなの魂の一部が分離・独立し、神格となった存在…方相氏・追儺ほうそうし ついなだった。

追儺は鈴乃に視線を移すと、白い歯を見せて快活に笑った。
「てひひ…久々やね、鈴乃ん」
「ついなちゃん!」
鈴乃は追儺に駆け寄り、瞬時に14歳位の少女の姿になると、思い切り追儺に抱きついた。

「ついなちゃん!ついなちゃん!!ずっと…ずっと逢いたかったのです!」
「おー、よしよし。寂しい思いさせたな、堪忍やで」
追儺は、鈴乃の頭を優しく撫で、それから力強く微笑んだ。
「鈴乃ん、泣く事ないで。ウチはこれからも、ずっとずっと鈴乃んの友達や」
「ついなちゃん!ついなちゃん!!鈴乃は…またこうしてついなちゃんに逢えて、とっても嬉しいのです!」
「ウチもや。…そうや、ぇ事教えたろ」
「?」
「ゆきなら今、ユキと一緒に雪女の国にる。ゆきも雪女になる為に修行するんやて。そんで広葉は、御先祖の安倍晴明様のところで、これまたカミサマになる為に修行中や」
「本当ですか!?」
鈴乃の悲しみの涙は、そのまま嬉し涙に変わった。
「じゃあ、またついなちゃんや、ゆきちゃんや、ユキねえや、広葉くんと遊べるですね!」
「うん。…ゆき&ユキと広葉の修行が終わったら、またみんなで遊ぼな!待ち合わせ場所は此処…絶海の楽園・小蓬莱島や!」

「良く判らんけど、ハッピーエンドって事で合ってる?バ飼い主」
追儺との再会に感涙する鈴乃を呆気にとられて眺めていたムーンが、貊に視線を移した。貊は深く頷き、それからひと言つけ加えた。
「…追儺さん、いや、ついなちゃんと、その朋友の皆さんの物語は、まだまだ終わらないって事だよ。これまでの物語とこれからの物語に違いがあるとすれば、新しい物語には小蓬莱島が深く関わる…ってところかな」
「でめたし でめたし」
貊の述懐を聞き終えたモネが、嬉しそうにムーンの掌の上で短い手を動かした。

夕焼けが砂浜を染める。その中で手を取り合い喜び合う追儺と鈴乃の立ち姿は、宵闇が迫る砂浜に映えて美しかった。

いいなと思ったら応援しよう!