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【小説】袖切り化け物【ついなちゃん二次創作】
「【袖切り化け物】…やて?」
神奈川県・厚柿市は厚柿中学校の教室で、雪のように白い肌に真珠色の髪を持つ可憐な少女、役ついなは級友の言葉に目を丸くした。
「それは一体どんな化け物なんや」
「ついなちゃんでも知らない妖怪が居るんだね」
小首を傾げながらついなの顔を注視するのは、ラベンダー色の長髪が美しい透き通るような声の少女。ついなの親友で、厚柿市でも知られた名家の令嬢…風花ゆき。
「街外れの、奈々沢って山道があるじゃない。大きな石がでーんって立ってるトコ」
「うんうん」
「そこから奥、方角から行くと旧大山道に連なる辺りで、最近夜になると『袖を置いてけ、袖を置いてけ』って不気味な呻き声が聞こえるんですって。袖を欲しがる妖怪、だから【袖切り化け物】」
「ふむ」
「その【袖切り化け物】の呻き声を聞いて驚いて逃げた人は、必ず派手に転んで、大なり小なり怪我を負うんですって。怖いよね」
「そら、普通の人は怖いやろなぁ」
「…それにしても、何で【袖】なんだろうね?」
「西日本にはな、決まった場所…例えばお宮さんとか、お地蔵さんとか、道祖神様とか…とにかくそんな場所で、転んだ時に片袖を千切って供え、厄除け祈願とする風習が結構広範囲にあるんよ。恐らくは【袖切り化け物】もその系譜かも知らんなぁ」
そこまで語ってから、ついなは腕を組んで考え込んでいたが、ふと、何をか思いついたような顔つきになった。
「なぁなぁ、ゆき」
「どうしたの?ついなちゃん」
「その、【袖切り化け物】の求めに応じて袖を切って置いて行ったら、どないなるんやろか」
「判らないなぁ…何しろ袖を実際に置いていった人は、ひとりも居ないらしいからね」
その夜。
ついなは、化け物が出ると言う奈々沢付近の峠道に向かっていた。
道が、旧大山道のひとつと交わる。
ついなは、手にした懐中電灯の明かりを消し、墨を流したような暗闇の森の中で、手近な倒木に腰を降ろした。
そのまま数分。
夜鳥の叫びと、蕭々と梢を揺らす風の音以外は何も聞こえない…その風に紛れるように、老いた男の声で呻く者が居た。
声が聞こえるだけで、姿は見えない。
袖を…置いてけ…
袖を…置いてけ…
ついなが、意を決したかのように立ち上がる。
同時に、ついなの姿が私服から一変した。
頭には金色の目が四つ光る鬼神面、体には赤と黒と橙色を基調とした和洋折衷の戦装束。手には矛。足には一枚歯の高下駄。
…ついなが、悪鬼羅刹を払う時に用いる【方相氏】の装束である。
ついなが姿を変えると同時に、ついなの目の前に靄のようなものが現れ、やがてそれはひとつのカタチにまとまった。
江戸時代末期の平民のような粗末な和装の年老いた男で、頭は髷を結っている。顔色が甚だ悪く、頬がこけ、目は落ち窪み、まるで幽鬼のようだ。そんな姿の妖が、不気味な声でついなに問いかけた。
「お前さん、拝み屋か何かか。儂を払いに来たのか」
ついなはその問いには答えず、上衣とはセパレートになっている戦装束の袖の片方をするりと外した。闇夜に仄白く、素肌のついなの腕が顕わになる。
「ほれ。望みの品や」
外した袖をついなは眼前に立つ妖…袖切り化け物に差し出す。
「これをくれてやるから、もう悪戯は辞めや」
ついなは、それだけ言うと踵を返した。
「…待て」
ついなが差し出した、まだかすかにぬくもりがある袖を握り締めた袖切り化け物が、帰りかけたついなを呼び止めた。
「見たところ安くはない品の様子、それをあっさり差し出して良いのか」
「構へん。ウチはまた新しく作って貰えば良ぇんやから」
ついなはそれだけ答え、再び峠道を帰りかけた。その背後から、袖切り化け物が更に声を発した。
「姉さん」
「何や?」
「あんたを見込んで頼みがある」
「化け物がウチに何を頼むんや」
「…姉さんは既に知っていると思うが、この街道は江戸の昔、大山詣りの参拝客が遍く通った道だ。昔の旅は現代より数段難儀で、金持ち以外は徒歩で臨まねばならなかった。当然多くの人間が、この道中で疲れ果て、目的を果たせず路傍で死んだ」
「…」
「その、大勢の死者の妄念が儂を生み出したんだ。儂の頼みと言うのは…その大山詣りの途中で死んだ者の供養を、何処かの寺に頼んではくれまいか…と言う事だ」
「化け物にしちゃ殊勝な心掛けやな。その願い、しかと頼まれたで」
ついなが力強く頷く。それを見た袖切り化け物は、霞のように消えた。
同時に、峠道のあちこちに蛍火のような陰火がともり、昼間のように道を明るく照らし出した。お陰でついなは懐中電灯の力を借りずに、転倒する事もなく無事に山を降りる事が出来た。
奈々沢から旧大山道に連なる峠道に供養塔が立ち、風花家の菩提寺の和尚により盛大な法要が実施されたのは、ついなが峠道で化け物と対面してから三日程過ぎた後の話だった。その法要の折に、ついなは土地の古老からこんな話を聞いた。
「昔から袖切り化け物の願いを聞き入れた者は、安全に峠を越せると言われている。ついなさん、あなたが帰路、陰火に送られて無事に戻れたのは、袖切り化け物があなたの親切を喜んだ徴だよ」