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過日、知人から粉末に加工されたコーヒー豆を貰った。
知人の職場の同僚が、海外出張の土産で買ってきた品だと言う。
パッケージを見たら東南アジアのそれらしきぐねぐねした文字で商品の記載がされており、当然ワタクシにはその内容を判明出来なかった。
知人曰く「ふた袋貰い、ひと袋を家族で飲んだが口に合わなかった。もしもテクパンが飲んでおいしくないと感じたら、消臭剤にでも活用してくれ」との話だった。
確かにコーヒーの出涸らしは消臭効果がある。言われて久々に思い出した。近頃主流のフランチャイズの喫茶店では先ず見かけないが、昔は純喫茶には必ず、皿に盛られたコーヒーの出涸らしが盛り塩のようにひっそりと店内に置いてあったものだ。現在残っている純喫茶ではどうだろうか。
早速コーヒー豆を持ち帰り、戸棚の中からプラスチックのドリッパーを取り出し(そう言えばこのドリッパー自体、久々にドリップコーヒーが飲みたくなって昨年の何処かで買ったものだ)、生憎切らしていた紙製のネルを100円ショップで購入した。
そして、いざコーヒーを飲んでみようと封を切ったら、コーヒー豆の匂いに混じって炭水化物が焦げたような微かな匂いが鼻腔に届いた。
茶匙に三杯山盛りにしてネルに投じ、熱湯を注いで数分待つ。ドリッパーを避けて見ると、何だか抽出されたコーヒーの色がやや淡い。
ひと口含んで見て「随分と味が薄いな」と言う感想が先ず出た。
忌避する程味が悪い訳でも無かったから、無くなるまでそのまま飲み続けたが、どうやらこのコーヒーはネルとドリッパーで抽出するより、トルココーヒーの要領で、小鍋で暫く煮出すのに向いた品では無いか…と言う素人考えが浮かんだ。
炭水化物の焦げたような匂いが混じったコーヒーと言う出来事で、ふと思い出した逸話がある。
釣聖にして小説家の開高健先生は、酒豪である一方で大のカフェインアレルギーだったのだそうだ。
ところで、開高先生の代表作と言えば世界各国を股にかけた釣魚紀行の名随筆【オーパ!】シリーズであるが、この随筆を書く為の最初の旅はブラジルから始まっている。
ブラジルはコーヒーの世界的な生産国のひとつである。日本で言うところの立ち食い蕎麦並みの密度でカフェが建っているらしい。それでなくても何処かを訪ねれば必ずコーヒーが出てくるお国柄である。行く先々で饗応として出されるコーヒーを恐る恐る啜っていた開高先生だったが、それまで顕著に出ていたアレルギー反応が全く出ず不思議に思っていたところ、現地の方に庶民が飲むコーヒーについてあまり笑えない話を聞かされたのだそうだ。興味深いくだりなので引用させていただく。
子供のときから私にはカフェインのアレルギーがあって、酒はいくらでも飲むけれど、上質のコーヒーや上質の茶(たとえば玉露など)を飲むと、たちまち頭痛、眩暈、冷汗、吐気に襲われる。このアレルギーのために、それがいつまでたっても克服できないものだから、バーや飲み屋の鑑定は一歩入って一瞥するだけでいいけれど、すべての喫茶店の椅子は私にとって坐り心地のわるいものとなって、今日に至る。ところが、コーヒーの本場のブラジルへきてみると、朝に夕に"カーフェ"を出されるものだから、ついつい飲まずにはいられない。はじめのうちはおっかなビックリですすっていたが、そのうちいくら飲んでも奇妙に酔わないものだから、さすがブラジルだ、おれの宿痾が消えたといってよろこんでいたら、事情通がいたましい顔つきで教えてくれた。ブラジルのコーヒーの一等豆はみんな輸出にまわして外貨稼ぎに使うんだ。一等豆はニューヨークや、パリや、トーキョーへいくんだ。ブラジル人は二等豆、三等豆でがまんする。そうすると分量がたりなくなるから、増量剤といって、別の豆をまぜる。ときにはミーリョ(トウモロコシ)やソージャ(大豆)をまぜることもあるという噂だ。だから、ときどき、妙に焦げくさくて、麦こがしやキナ粉のような匂いがするでしょうが。ほんとのブラジルのコーヒーのうまいのをブラジル風に仕立てて飲みたかったら、コーヒー農園においでなさい……とのことであった。
ワタクシが貰ったコーヒーは(恐らく)東南アジアの何処かの国産なので、ブラジルの二等・三等のコーヒーのように炒ったトウモロコシや大豆が混ざっているのかは判らないし知りようがない。ただ、コーヒーを開封した時のあの炭水化物が焦げたような匂いと、開高先生が飲んだ二等・三等のブラジルコーヒーに、どうしてもワタクシは断ち切れぬ何かの繋がりを感じたのであった。
因みに開高先生、【オーパ!】シリーズの終盤辺りでスリランカを訪れており、その時期に前後して紅茶が好きである旨を明かされている。紅茶も少なからずカフェインを含む嗜好品飲料だが、もしかして開高先生のカフェインアレルギーは何らかの切っ掛けで克服出来たのであろうか。開高先生が鬼籍に入られて久しい昨今、答えは永遠に謎のままだ。