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冬の守宮

2024年も末に迫ろうとしたある日、マンションの備えつけの洗濯機の下辺りに、明らかにゴミとは違う灰色の物体が縮こまっているのを見た。
その灰色の物体の正体が判った瞬間、ワタクシはあまりにも意外に感じた。

洗濯機の下に縮こまっていたのは、何と野生のヤモリだった。
全長10センチに満たない位のサイズだ。
変温動物のヤモリ、この時期ならばとっくに冬眠している筈である。
何処から来たのかは判らない。ただ、尻尾が途中から切れて短くなっているのが目立った(ヤモリは外敵に襲われると自ら尾を切り離し囮として敵から逃れる【自切】と言う行動を取る事で知られる)。
恐らくは冬眠支度の途中でネズミか何かにでも襲われ、必死に逃げて此処まで来たのでは無いかと思われた。

何しろこの寒い時期である。
咄嗟に「このまま外に居たのでは凍え死んでしまうのではないか」「せめて少しでも暖かいところに入れねば」と思った。さりとて家の中に入れてやる訳にもいかず、あれこれ考えた末に「マンションの清掃員が使う掃除用具が入っている場所なら良かろう」と言う結論に至った。直ぐに移動させてやろうと、ワタクシは掃除用具入れから塵取りを引っ張り出し、ヤモリを回収せんと試みた。
然し、ヤモリはワタクシの手から逃れるように、弱々しい足取りで洗濯機の真下の隙間に潜り込んでしまった。
その日はもうそれ以上の事は出来なかったので、そのまま就寝した。

翌日は昼間から出かける用があった。
その用足しから帰宅すると、あのヤモリが洗濯機の下から結構な距離を這い出していて、廊下で冷たくなっていた。陽が出て幾らか気温と体温が上がり、洗濯機の下から這い出したもののそのまま力尽きたらしい。もう体力も生命力も残っていなかったのだろう。

このまま廊下に放置して、誰かに踏まれるのを見過ごすのは気が咎めた。ワタクシはヤモリの骸を塵取りで掬い、土がある植え込みの場所に置いた。その時初めて、ヤモリが下顎に深い傷を拵えている事に気がついた。

そして更に一日経過した。

翌日も外出の用があり、日が暮れてから帰宅した。帰宅後にそっと植え込みの様子を確認すると、あのヤモリの骸はネズミや小鳥に食べられる事も無く昨日と同じように土の上に力無く横たわっていた。
その姿を見てワタクシは自分でも訳が判らぬまま、家の中からスチール定規を持ち出し、ヤモリの骸がすっぽり入る程度の穴を掘った。そして穴の中にヤモリの骸を寝かせ、土を被せた。

単なる自己満足と言えばそれまでである。「そんなにヤモリの祟りが恐ろしいのかよ」と謗る声もあろう。だが、ワタクシはどうしてもヤモリの骸をそのままには出来なかったのだ。
もしかしたら…そう、ワタクシがもう少し機転の利く人間だったら、あのヤモリを死なさずに済ませられたかも知れない。そんな後悔とも自責ともつかぬ思いが、ワタクシの中に去来した。

ワタクシは、土の下のヤモリの骸に向かい手を合わせ、己の無力を詫びた。

ヤモリは漢字で【守宮】と書く。
人家に寄り添い虫を食べる姿に、昔日の日本人が【家屋の守り神】のイメージを重ねた事が由来だ。だから維新前の日本人は、ヤモリを丁重に扱っていたと聞く。

あのヤモリの魂は、来世では別の何かに生まれ変わるのだろうか。それとも、再びヤモリに生まれてちろちろ壁を這って虫を食べ【家屋の守り神】として振る舞ってくれるのだろうか。

この記事を書いている間、ずっと罪悪感が拭えなかった。頭の何処かで「良いネタが出来た」と北叟笑んでいる自分が居るのじゃないか…等と思ったりもした。当記事の公開の是非はギリギリまで悩んだ。

でも、最終的にはこうして記事にした。
誰かに聞いて貰って、懺悔したかったのかも知れない。

ごめんよ、ヤモリ君。どうか安らかに。

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