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祈りの日

(ヘッダー画像はイメージです。今回参拝した正中山法華経寺は本尊の鬼子母神像を始め大多数の施設が撮影禁止だったので、撮影を思い留まりました)

下総中山にある【正中山法華経寺】(日蓮宗)に詣でて来た。

普段、宗教に無頓着なワタクシ(神社詣では好きだが)がこの日に限って何故寺参りをしたかと言うと、5月の上旬が自分にとってとても特別な日だからである。

もう5〜6年は経ただろうか。
ワタクシの兄が急逝した。享年45。
その時ワタクシはまだ社会復帰をする前で、就労支援事業所に通って社会復帰の為に諸々の準備をしている最中だった。
事情を施設の職員に話して特別に許可を賜り、大急ぎで親元へ帰郷した。そして兄を弔った後、紆余曲折を経て、両親は身辺整理をして親戚が住まう北海道函館市に移り、ワタクシは再び今の在所に戻って、社会復帰して今に至る。

その後、全世界規模の致死性感冒流行の影響もあり、ワタクシは北海道に行く事は愚か、兄の霊に手を合わせる為に近隣の寺に詣でる事すら叶わなかった。然し近頃感冒の猛威も下火になり、母から頼まれた事もあって、やっと重い腰を上げ寺参りを実施した次第である。

最初は船橋市にある、とある大きな寺(名前は敢えて伏す)に行く予定だった。
だが、調べてみてその寺の守り本尊が不動明王である事を知り断念した。…と言うのも、我が母が不動明王と甚だ相性が悪く、自身が詣でるのは勿論家族が詣でた時でさえ露骨に具合を悪くする為である(以前にもワタクシが誰にも知らせるでなく深川不動尊に詣でた際、その日の晩に母が体を壊した旨連絡があってぞっとした事がある)。

我が在所の最寄り駅の近くに、観世音菩薩を祀る大きな寺があると知り、そこへ詣でる事にした。

だが、祈りは思わぬ邪魔者により破られた。
スーツ姿の墓石のセールスマンが幾人かの顧客を引き連れ、本尊に手を合わせるワタクシの後ろで墓石のセールスをおっ始めたのだ。
甚だ気分を害したワタクシは、急いでその場を離れた。

その瞬間。
ワタクシは昨晩見た夢を思い出した。
その夢とは、自宅で寛いでいたら突然外で大勢の者が荒々しい声で「南無妙法蓮華経」と繰り返しながら荒行をする、と言う内容のものだった。

前述の念仏は皆様も御存知の通り、日蓮宗関連で特に用いられる題目である。
「呼ばれていたのかも知れない」と感じた。

因みに我が実家の宗派は浄土真宗である。
日蓮宗とは相性が悪い(?)。
少なくともウチの家族はワタクシの口から日蓮宗と聞くと露骨に嫌な顔をする。
これは(こちらも敢えて名は伏すが)某宗教団体の存在もあっての事だろう。
だが幸いな事に、ワタクシが今回訪ねた法華経寺はその宗教団体と袂を分かち激しく敵対する立場にある、言わば【真の日蓮宗】であり、外部からの参拝も歓迎してくれている(但し某宗教団体の関係者は問答無用で摘み出されると思われる)。
何より守り本尊が【鬼子母神】であり、他の仏様と喧嘩をする恐れもなさそうだったので、最終的に法華経寺を新たな祈りの場と定めた。

電車に飛び乗り、下総中山駅で降り、参道を歩く。もうそれだけで俗世とはかけ離れた清廉な空気を感じた。鬼子母神堂に入り、静かに手を合わせると、丁度おつとめの読経が始まったところだった。
何もかも先程と正反対である。
宗派は違えど、読経には人の心を浄める何かがある。勝手な言い分かも知れないが、矢張り寺の敷地内で聞くのは墓石のセールスではなく読経の声の方が望ましい。
厳かな雰囲気の中でワタクシは祈りに集中する事が出来た。
祈りを終え、帰路につく。そのワタクシの背後から、高々と鉦を鳴らす澄んだ音が響いた。

山門を出ると、境内の静寂が嘘のように強烈な風が街中を吹き抜けていた。
ワタクシは強い風に逆らいながら、然し何処か満ち足りた気持ちで、帰宅する為に下総中山駅へと向かったのだった。

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