当たり前を当たり前で片付けないでほしい
当たり前とは何なのでしょうか。最近、私の疑問はここにあります。
当たり前だからといって、説明をしない。当たり前だからといってできて当然だと考える。
これって、どうなのでしょうか。
当たり前って誰が決めたの?
当たり前だから、常識だから、できて当然だからっていうことをよく聞きますが、その考え方で一番最初に言い出した人って誰なんでしょうか。
本当に疑問すぎて受け入れられないことがあります。当たり前と言われても私は知らない。
だけど、答えてもくれないようでは、わからない人にはもっとわからなくなってしまうんです。
業界、地域、世代、価値観で全く当たり前って変わるって思うんです。
例えば、ITの世界ではシステムを作るときに要件定義をするのが当たり前と言われたとして、飲食業界の人にその言葉って通じますか。
答えは通じません。専門用語ですし、料理の業界ではない作業ですから。
逆に料理の業界ではさしすせそを知っていて当たり前と言っても、普段料理しない人は知らないことですよね。(もしかすると家庭科でやっているかも)
このように当たり前って、変わってくるんです。
業界だけでもこのように変わるのに地域や世代、価値観なんて関わってきたら、当たり前なんて言う言葉で表しきれません。
だから、説明することが必要なんです。知らないかもしれないという考えを持って伝える。
なんのために言葉というツールが有るのか、それがどのようにして作られたかということです。
何かを伝える際に以前の方法が使えにくかったから、言葉というものを使って伝えられるようにしたのではないでしょうか。
せっかく言葉というものがあるのですから、相手の伝わるようにしていきましょう。
当たり前ではなく、説明責任を果たす
最も重要だと思っていることです。説明責任とは、聞かれたことに対して説明をすることです。
何について説明しろというか、それは当たり前のこと、常識をしっかりと伝えていくこと。
ただ単に、そんなのもできないの、そんなのも知らないのと罵倒するようでは、その人に当たり前が浸透することはありません。
しっかりと相手と向き合うことが当たり前と思って貰える人を増やすためには必要です。
何事も教育です。説明責任を果たし、その人達に当たり前とはどういうことなのかを広めていきましょう。
その業界を衰退させたくなければ。
現代の当たり前は求めすぎている
現代において、当たり前という部分を求めすぎているようにも感じています。
例えば、コンビニでも、袋詰をしてもらって当たり前、レジをしてもらって当たり前、接客してもらって当たり前だと思っている人多いのではないでしょうか。
実際に外国に行ってみると、そんなのは当たり前ではないということに気が付かされます。
レジでお金をもらうとき、日本ではお札と小銭を別に渡したり、確認をしてくれます。
しかし、外国では一緒に渡すだけでなく、早くしないと突きつけられます。早くしろよと言わんばかりに。
このように日本では当たり前でも、外国では非常識なんです。だから、外国人が日本の店員さんは丁寧に接客してくれるとか、すごいなと思うわけです。
つまり、当たり前だと思って提供されているサービスは誰かによって、できているわけで、当たり前なことではないのです。
お客さんのために努力しようと考えている人がいるからこそ、そのサービスは提供されるのです。お金をもらって。
当たり前は誰かによって作られ、支えられている
見出しの意味はそのままです。誰かによって作られたんです。その文化というものは。それを良しとする人たちが守っていたりするわけです。
現在の新しい生活スタイルも行政や民間の提案によって作られたものです。
テレワークも今までは行っていなったところが多くっても、今回の騒動で行う会社が増え、当たり前になってきそうな流れです。
それに、オフィス不要というものも考えられなかったり、マスクを付ける、絶対に消毒、ソーシャルディスタンスなども今までではあり得なかったことの1つではないでしょうか。
このように当たり前はだからが作り、それに賛同する人によって支えられているのです。
だから、時代によってや業界によっては合う合わないがあるので、当たり前がすべての人に適応するわけでないという考えを持ってもらいたいものです。
そうすれば、多様性に対して受け入れられるようになるかと思います。簡単な言葉に頼らずに相手の事を見る。
これがコミュニケーションではないでしょうか。当たり前という返しは、言葉のキャッチボールではなく、ドッヂボールです。