『贅沢な悩み』という言葉に悩む必要はない?
先日、さわなおさんのVoicyで、「そんなの贅沢な悩みだよ」と言われた経験を語っていました。この発言はプレミアム放送内での発言なので詳細は省きますが、さわなおさん自身が困っていることに対して他人から言われた一言だそうです。
そのとき私は、「贅沢な悩みだよ」とは相手の悩みに寄り添う気はないですという、恐ろしいい言葉だと感じました。
贅沢な悩みとは
まずはじめに、『贅沢な悩み』とな一体どんなことなのでしょうか。
調べてみても『贅沢な悩み』という言葉で言及しているものはありませんでした。そこで『贅沢』と『悩み』別々に調べることに。
goo辞典によると『贅沢』とは以下のようになります。
つづいて『悩み』です。
つまり『贅沢な悩み』とは「自分の限度や、ふさわしい程度をこえた、思いわずらう心の苦しみ」、もっと分かりやすくまとめると「自分にとって必要以上のことで悩むこと」です。
ということは「贅沢な悩みだよ」と言ってくる人は、「あなたはすでに満たされているので、そんなことで悩んでいるんじゃないよ」と言っているようです。
…なんか納得いかない。
一見励ましているように聞こえる言葉ですが、私には「あなたには悩む価値がない」と聞こえてしまいます。
他人が人の悩みに贅沢とか言うな
「贅沢な悩みだよ」という言葉の中には私が存在していません。
たとえば会社で同僚に「もっと残業の少ない職業へ転職できたらいいな」と相談したとします。するとその同僚は「そんなの贅沢な悩みだよ。文句言わないで仕事するよ」とひと言。
この同僚の言葉の裏側には、こんな気持ちが隠れています。
「みんな、嫌でもがんばってる」
「嫌なことをするのが仕事でしょ」
「一人だけ楽しようとするなんてズルい」
「転職なんて、ただの逃げだ」
これは相談相手である同僚の常識、都合のいい常識を私に押しつけようとしているだけです。
同僚の中には、私の悩み・私の気持ちはもうどこにもありません。あるのは枠から外れようとする異端者を縛りつけようとする、同調圧力なのではないでしょうか。
とはいいますが「そんなことを思って『贅沢な悩み』と言ってくる人ばかりではないのでは?」そう思う人もきっといるでしょう。私も、そんな悪意に満ちた人ばかりではないと思うし、信じています。
しかし、本当に私のことを想ってくれる人は『贅沢な悩み』という言葉をきっと選ばなはずです。真摯に私の悩みに向き合ってくれると思いませんか。
おわりに
『贅沢な悩み』、それは本当に『贅沢』なのでしょうか。『贅沢』と決めるのは自分自身です。私が本当に悩んでいるのなら、誰がなんと言おうと『私の真実の悩み』です。気にすることはないです。
しかし、誰かに「贅沢な悩みだ」と言われてしまうと、「こんなことで悩むのは、自分が悪いんだ」「これ以上、望むのは間違いなのかも」と、自分を責めてしまいます。
そんなときは、こう思うようにします。
「悩んでいい。私には悩む権利がある」
今の「自分の悩みを諦める」ことを諦めましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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