好奇心と探究心
最近、『好奇心』についての原稿を書いているが、それと似た言葉で『探究心』というものがある。
私の今書いている別の原稿では、
”好奇心は今後の資本主義で最上位の資本となる”
というのがテーマだが、探究心はどう位置付けたら良いか、というのでハタと筆が止まった。
こういった場合、少し気持ち悪いが、目を瞑って「好奇心、探究心、コウキシン、タンキュウシン。。。」と口の中で唱えていくと、だんだん言葉になっていくから面白い。
好奇心は、目の前のことに興味を持って「何も考えずに」飛びつくことと考えている。
つまり、花が目に入ったら、それに顔を近づける行為が好奇心
そして探究心は、それに虫眼鏡を当てる行為だと思う。
もっとわかりやすく言うと、好奇心はアンテナ(検知装置)であり、探究心はセンサー(計測装置)であるといえる。
そして何か新しい発見、発明の時には、この2つは密接に関連している。
好奇心が乏しいと、そもそも新しい発見をする確率が下がる。
そして、好奇心で捉えた事象(事物)を、実際に観察・測定しないと掘り下げることはできない。
観察すること、測定すること、それを言語化することはある程度の作法と技術の習得が必要。
そしてその探究心を持続させる燃料もまた好奇心であり、探究心で切り開いた新しい発見に対して好奇心を持ち続ける限り、次々と掘り下げていって、いつかは誰も到達していないところに辿り着く。
では、何故、普通の人は、そこまで辿り着かないのか?
一つは、好奇心のアンテナがそこまで高くはない。
もう一つは、好奇心で顔を近づけても、それを掘り下げる探究心(探求力)の技術が伴わない場合だ。
前者のアンテナは、皆さんが感じている通り、例えば大人になっていきなり好奇心が芽生える人というのは非常に珍しく、大抵は子供の時のMAXの好奇心を、成長期、思春期を通して、削られず、へし折られず、残した場合のみ、発揮される。
後者は、計測機器の使い方、それらを分析する能力、仮説を導き出す知見、などはそれこそ後天的に獲得可能であり、サイエンスの世界では大学での実験、レポートを通して獲得していく。
—
過去の偉人の逸話を振り返ると、
エジソンは、(小学校で先生から完全否定されても)好奇心がすこぶる強く、ほぼその1点で探求力を身につけて一点突破をしている(ように見える)
スティーブ・ジョブズは、好奇心とこだわりは人一番多いが、おそらくは探求力に必要な知識は最後まで持たなかった(持つつもりが無かった)と思われる。その代わり彼には”現実歪曲フィールド”という、探求力を持つ人々を惹きつける能力があり、それらをフル稼働させることで、誰も見たことのない製品を生み出していった。
—
現代においては、計測・分析機器の普及(無料化)、クラウドをはじめとしたスモールスタート可能な小資本+スケールビジネスの仕組み、そして生成AIによる探求力に必要な技術の代替により、今までは、
好奇心によるビジネスシードの発見
探求力による深掘り
ビジネスロジックの定着(システム化)
ビジネスのスケール化
のステップでスキル、巨大な資本、投資が必要だったが、
(生成AI、クラウドサービスを活用した)Minimum Value Productの開発・リリース
トライアンドエラーによるブラッシュアップ
と、ぼほコードを書かずにサービスまで持っていける(少なくともインターネットサービスにおいては)仕組みが揃い始めてきた。
それが行き着く先には、おそらく、
巷の無料ツール、クラウドを駆使し、スケールするサービスを1人で生み出す”一人親方”
が生まれてもおかしくないと考える。いや、もうすでにいるのかもしれない。
そうなると、最初の話に戻ると、
”探究心を実現する技術・サービスが低廉化している現代では、探究心(テクニック)それ自体がコモディティ化してしまい、相対的に、好奇心の強さが価値を持ち始めるのではないか”
という仮説が現実味を帯びてきた。