見出し画像

旅の続き: アラフィフキャリアブレイクの現在地

※アラフィフでキャリアブレイクした経緯


さて、昨年6月末に23年以上に及ぶ正社員生活から離れてからちょうど1年。ここらへんで振り返りをしておこうかと思う。


この1年で何をしたか?

<Networking>

キャリアブレイクの経緯にあるとおり、自分の中の基礎体温を再度上げるのが目的なので、まずは体温の高い人々に会いに行くということをした。
最終的には、退職前後で、都合20人を超える方々と会ったり、Video Call等で話をした。
ビジネスっ気を出すことなく、ポジショントークもなく、淡々と向こうの話を聞き、課題を聞いて、相談するということをロールプレイのごとく繰り返すと、如何に自分の視野が狭くなっていたかを思い知らされた。

これはおそらくだが、異業種交流会で名刺交換して、その後コンタクトを取ってもダメで、顧客として、同僚として濃密な時間、プロジェクトを共有したことと、そういった方々が業界内外に拡散していたことが幸いした。

「役に立った」「刺激になった」ではなくて、「自分の閉塞感の原因が分かった」というのが正しい表現。

<エンタメ>

普段はなかなか行けない、歌舞伎、単館上映の映画、演劇、ライブなど、スケジュールが合う限りに行ってきた。

市川染五郎、市川新之助、市川團十郎白猿も見れたし
30年以上遠ざかっていた小劇場の公演も見れた

理屈で話を進めがちなビジネスの世界でも、相手はやはり人間なので、感情が物事を決めることもある。その際に、厳しい稽古で身につけた高等技術に裏付けられているにしろ、芸事は理屈だけでは推し量れないものなので、まさしく人間観察の深さを体感できたことは、非常に良い経験だったと思う。

<留学: ロンドンは暑い>

外資で働いて10年以上だが、その間のらりくらりと凌いていて、いよいよ避けられなくなった英語に真正面で向き合うため、前々から準備をしていたロンドン留学とマルタ留学に行った。

ハリーポッターのミュージカル上演中


大英博物館


お色直しが終わったビッグベン


ご飯の調達に重宝したバラ・マーケット(市場)


語学学校近くのキングクロス駅

ロンドンでは、"EC LONDON"という語学学校に通学。

30歳以上というコースなので、年齢層は幅広いが、私はやはり若干上のほう。

国籍はスペイン、トルコ、ドイツが多い

事前テストで振り分けられたクラスなので、レベルは近いと思うが、リスニングとスピーキング(話すための文章の構成力)は、比較的上のレベルだったようで、何日かすると、「こいつとペアになると勉強になるな」と思われたためか、自然と自分の周りの席から埋まるようになった。

<留学: マルタは猛暑>

マルタは2ヶ月いたので、現地の生活にどっぷり浸かり、
午前中: 語学学校
午後: 島の探検 x 現地の人との交流
夜: 英語での果たし合い(ネットワーキング)
を繰り返すことで、下は20代から、上は還暦ぐらいまでの同級生と一緒に、さまざまな文化に触れることができた。

世界遺産のバレッタ


フェリー


海岸沿いの公園
  • 各部品の力学計算を一晩かけて行っているメルセデス一筋35年のエンジニア

  • なまじ工学の知識が豊富にあるせいで、我々とは違うレベルで本気でEVの到来に怯えているBMW一筋40年のエンジニア

  • ウクライナから陸路で避難してきた女性

  • 2ヶ月のバカンス中に1週間英語でも勉強してみようか、というドイツの初老の夫婦

などなど。

彼らからすると、
「20数年途切れる事なく仕事してきましたが、一念発起、キャリアブレイクしました」
というのはネタとして完全に弱いようで、途中からは、
「この国に何となく来たかったので、仕事辞めて来ました」
と、若干盛る説明をし始めた。

そして、肝心の英語力はというと、長文の記事をさらっと読むことはまだまだだが、話すことと、聞くこと、書くことは、お世辞でも謙遜でもなく、飛躍的に上達した。

ただ、語学学校”だけ”では、絶対に上達はしなかっただろうなとは思う。
それよりも、

  • 午後に場末のパスタ屋さんで注文を間違えられてバトルした

  • 夜に”哲学について”語る会に参加し、インド系、イギリス系、アメリカ系、(おそらく)スペイン系英語でガンガンに話しているところに、日系英語で爪痕を残そうとした

が、日本人が持つ、「ちゃんとした英語を話さないと笑われるのでは」という既存英語教育の弊害を打破して、「単語の羅列だろうが、何度も聞き直そうが、伝われば、理解できればオッケー」というメンタルに完全に切り替えさせてくれたのが大きい。

<聖地巡礼: ニューヨーク>

  • さて、2ヶ月でマルタ留学を終了し、次は中間選挙で揺れる、物価高ど真ん中のニューヨークへ移動
    ここは2011年1月にGoogleに入社した時に、トレーニングとして初めて来た。

  • 初めての外資系

  • しかもGoogle

  • しかもニューヨーク

  • しかも極寒の冬

  • 一ヶ月

ということで、正直、心が折れるかも、と思ったが、同僚も非常に優しく、またニューヨークも当時はそれほど物価高ではなかった(何と$1USD=85円ぐらいの超円高だったんです)ので、マンハッタン島の観光名所はだいたい行き尽くしたし、数えてみると、ミュージカルは7本見たようだ。


2011年1月出発
ライオンキング
自由の女神
マンマ・ミーア
シカゴ
マンマ・ミーア(再)
12年前のタイムズスクウェア
ブルーマン

ということで、今回も正味4日間だったが、

  • 1杯4,000円のラーメンを食べ、

  • 後に、3週間で打ち切りになったミュージカルを鑑賞し、

  • Google時代の元同僚で、英文のスペシャリストの先生と再会できて、

  • 当然、1ヶ月お世話になったオフィスにもお邪魔し、

と、3ヶ月に渡る留学の締めくくりとしては非常に充実した時間を過ごすことができた。


全てはここから始まった
タイムズスクウェア: 12年前とほぼ変更無し
珍しい形をしたステージのミュージカル

会社に所属すること。起業すること。フリーでいること。

さて、1999年4月より新卒で社会人になり、2022年6月末まで23年以上、切れ目なく仕事をしてきたわけだが、今回初めて正社員であることを辞めた。

キャリアブレイクに伴い、無職なので当然であるが、生活費は今までの蓄えで賄うことは決めていた。
ただ、非常にありがたいことに、フリーランスでのお仕事を昨年、今年といただけることになり、ほぼ資産を取り崩さずに生活できるようになった。

このフリーの仕事を拡大すること、その延長線上に起業、などなどいろいろ選択肢が当然視野に入ってくる。

起業はなかなかなジャンプだが、フリーでのお仕事をいただくことと、正社員であることは、後述の転職活動中に、両立可能(つまり副業OK)な会社が多いことが分かり、まずは正社員の仕事を探し始めることにした。

転職活動

自分の希望条件については以前まとめたが、

改めて書き出すと、

  • 強力な製品・サービスを持っている会社

  • 国内にまだそんなに地盤が無い(スタートアップ)

  • なので、伸び代もあり、”いろいろなことを試すことができる”

  • (できれば)英語を使う

あたりを念頭に昨年10月より活動を開始。

で、差し当たって自分のアピールポイントは、

  • コーディングからGo-To-Market、Integrationまでを一通りこなせるTechスキル

  • BtoBセールスを中心としたClosingまでのスキル

1人でこなせるということ。極めて大袈裟に、今風に言うと、(大谷まではいかないが)二刀流
ついでに、英語力も支障がないぐらいの自負はできた。

ただ、このアピールポイント、最初の書類選考になかなか通らないことがわかった。

  • 直近が6年以上セールスということもあり、完全にセールス(Business Development)の人と思われている

  • 「いやいや、実装支援もトラブルシューティングも、デバッグもやってんすよ」というのはレジュメ(経歴書)からは伝わりづらい

  • かといって、Techのほうも、経歴としては間が空いているということもあり、そのポジションでもなかなか最初の面接まで辿り着かない

  • では、セールス(Business Development)としての採用はどうかというと、それこそ私と同じ年齢で、この道20年というベテランとぶつかることがあるため、その時点で椅子取りゲームで弾かれる。

と、レジュメの段階では「二刀流」ではなくて「6年前にピッチャーから転向した小器用な7番バッター」という扱いのようだ。

これはまずい、ということでレジュメを大幅に書き換え、中継ぎ・ロングリリーフもできますし、内外野全部守れますし、ついでに外国人助っ人の通訳もできます、というのを行間に入れ込み入れ込みをしてみたら、物珍しさか、面接に呼ばれることが多くなってきた。

それと、私のこの経歴は、『直接応募』よりも、エージェントに上記特徴をちゃんと伝えて、細かく説明してもらったほうが勝率が上がることもわかった。

なので、「打ち合わせしましょう」というエージェントには全て会って、上記自分取説を渡し、
”まだまだ日本のビジネスは小さく、各職種を個別に全部採用する予算がないので、とりあえずマルチ人材”
という会社を探してもらうことにした。

それでも、エージェントからすると、「はいセールスの人なんで、他の会社の似たような商材のセールスへ」のほうが手離れが良いようで、来るものは
“欠員が出たので、この部署51人目のセールス”
とか、希望から少しずれている感じがして、結局いただく案件のうち10-20%ぐらいの応募率に落ち着く。

もう途中から応募数を数えていないが、だいたい70ポジションぐらいに応募し、半分ぐらいが返信無しのサイレントお祈りで、30%ぐらいがHR面接まで行き、そこまで行くと、ほぼ全部一次面接までは行く。(HRで弾かれたのは2件、うち1件は応募中にポジションがCloseした)

そこからは二次面接、プレゼン、知能テストと様々だが、最終近くまで行ったのは6社程度。

そこからは最終3人に残った、2人まで絞られた、などいろいろあり、ようやく7月にオファーをいただき、次の会社が決まった。
(昨年10月1日に最初の応募をしてから、294日目にオファーにサインをした)

当初考えていたベストシナリオでは、留学から帰国後の昨年12月から仕事開始と考えていたが、まぁ、そこから9ヶ月延びたのは想定内といえば想定内。
(環境のせいにはしたくないが、明らかにレイオフの波はもろにかぶった)

今後の話

9月1日より新しい会社に着任します。その時に社名と役職をアナウンスします。

昨年7月から始まったアラフィフの冒険活劇ですが、ハッピーエンドというよりはシーズン2突入ということで、新たなチャレンジを開始します。


いいなと思ったら応援しよう!