塾講師をしていて難しいこと
僕は今、トライの個別指導塾で塾講師のアルバイトをしています。
去年の4月から始めて、だいたい1年くらいが経とうとしていますが、
生徒と関わる中で、『これは難しいなぁ』と思うことがあります。
それは、生徒が本当に理解しているのか否かの判断です。
僕は2人の生徒を受け持っていて、科目はどちらも数学です。
1人は高校3年の受験生。もう一人は中学2年生の子です。
この二人がとても対照的な性格で、、、
受験生の子は、自分がモヤモヤしているところをわかるまで聞いてきます。
対して中2の子は、僕がちょっと説明すると、
「あー、そういうことね」と言ってすぐにペンを走らせます。
そして彼は同じような問題でまた手が止まります。
恐らく、少し記号の配置が変わっただけで、全くの別問題のように見えてしまうのでしょう。
数学という学問の性質上、じっくり考えを深めることはとても大切です。
答えがあっていたというのはただの結果でそんなことは重要ではありません。
どのように考えたのか、なぜその考えに至ったのか、という思考のプロセスの方がよっぽど重要です。
中2の彼に足りないのはまさにそこだと思います。
もう少し自分の考えを深く探っていくと、プリントに並んでいる問題式が全て同じ法則で計算できることに気付くでしょう。
これは、どちらが優れている、劣っているという問題ではありません。
ただ2人の性格、気質が現れているだけです。
ただ、後者の彼は自分が浅い思考で止まっていることに気づいていない。
その壁を1人で越えようとするのは至難の技です。
僕たち塾講師の仕事はそんな生徒の思考を深める手助けをすることだと思います。
『どうしてそう考えたの?』『ん、これってどういう意味?』
このような質問を投げかけることで、生徒が自分の答案を見直します。
『ん、そういえば俺はなんでこう計算したんだっけ?』
『さっきもこの計算してたな』『待てよ、これってこういうことか』
このような経験を経て、生徒は思考することの大切さを知ります。
それは、テキストの解法を暗記するより何倍も価値ある体験です。
確かに目の前の問題を解くために、暗記は大切です。
我々が小学生のときに必死で九九を覚えたように、ある程度の暗記は必要です。そして、慣れも必要です。
しかし、ある程度の知識がたまったら、どこかの段階で、『思考する』ということを学ばなければいけません。
そのステップから逃げると、いつまで経ってもテキストの答えを写して開放を暗記する、ロボットのような頭になってしまいます。
塾講師は、生徒の思考の手助けをするために存在しているのであって、決して解き方を教えるためにあるのではありません。解き方なんて教科書に乗ってますから。
しかし、実際には、生徒に解法を叩き込んで、それ通りにやらせて、
生徒が正解すると得意げに丸をつける講師が大勢います。
彼らは生徒が正解するたびに自分の教えに自信を持ち、酔っていきます。
よって自分の教え方を疑うことをしません。これではいつまで経っても生徒が、本当の意味で賢くなることはないでしょう。
これは恐らく、多くの教育関係者が感じていることだと思います。
学校や塾は、問題の解き方を教える場所ではありません。
生徒が自分の思考を深める手助けをする場所です。
大丈夫です。1度思考することの旨味を味わえば、生徒は自分で賢くなっていきます。エンジンを搭載した旅客機のように。