万博と日本の近代化1
1851年、イギリスは世界で初めて万国博をロンドンで開催されました。それは1750年ごろからイギリスで起こった新しい工業社会の時代に入ったことを、世界に示そうとするものでした。
アメリカやインドから供給される原材料を工業製品化し、世界の工場に送り込む。この工業社会のシステムの構築により、イギリスは7つの海を支配していました。
博覧会は一種の見本市として国内の産業の発展に好影響を与えるという一面もあることから、18世紀にはヨーロッパ各地で開催されるようになりました。
日本は、1873年のウィーン万国博から正式に参加するようになります。「国の栄誉をあげ繁栄を招くもの」ととらえ、国をあげて万国博に挑みます。その中心人物には、万国博のありかたについてよく理解している人物として、雇われドイツ人教師のワグネルが任命されました。彼は日本の近代工業はまだ未成熟なので、おくれた低度な工業製品を出品するよりも、伝統的な手工業による工芸品を出品するほうが新鮮であり、ヨーロッパに日本の存在を知らせ、印象を残すのに役立つだろうと考えました。そこで日本の出品は美術工芸品に重点が置かれることになりました。このワグネルの方針は的中して日本の美術工芸品は人気を集めた。
『参考資料』
https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1873.html