古代「中国の技術」と「西洋の技術」
17世紀、明国末期に宋応星という人が書いた「天工開物」という本を私は今読んでいます。これは、当時としては世界でも第一級の産業技術の図解百科全書といえる書物です。
「紙、印刷術、火薬、羅針盤」高い技術力を持っていた古代中国だが、この本を読んでいて西洋諸国に技術レベルで取り残されることとなった理由が何となく分かった。
「天工開物」の内容は技術を説明的に解説しています。一方17世紀の西洋の科学・技術書は解析的、学術的に物事をとらえている点が大きく異なっている。
西洋でなぜ解析的・学術的な視点が深まっていったのか。これは、西洋の宗教観から生まれた差なのかもしれません。13世紀の神学者のトマス・アクィナスが「自然法則」という言葉を使い始めたように、強烈な一神教であるキリスト教の伝統のなかで、神が創造した自然には創造の秩序が存在する。
16世紀の宗教改革を通り抜けたルネサンス以降の学者たちは、自然の背後に隠された神の創造の意思を読む、つまり自然法則を発見することを最高の使命・娯楽と考え、ガリレオもパスカルも、ニュートンも、近代科学が学術的な解析に没頭したのではないか。
これらの知見が、強大な土木技術、軍事技術、医療技術につながり西欧中心社会へと世の中が変化したのではないかと思った。