見出し画像

【材料】17世紀、鉱物学の進歩

 
■科学的な鉱物学は17世紀に始まる
16世紀の鉱物学は、まだ鉱物を外見の特徴で分類するだけのものであり、客観的な科学としては未成熟でした。結晶を意味するクリスタルはギリシャ語の水晶(クリスタロス)が語源です。昔は水晶は「山中の氷が石になったもの」と信じられていました。多くの鉱物マニアが最初に魅せられるのも石英の結晶である美しい六角柱状の水晶です。
 
17世紀半ばのある日、さまざまな鉱物標本を集めることを趣味としていたデンマークの医師ステーノ(1638~1686)は、ある時たまたま標本を整理するために、その寸法や重量、その角度などを調べようと思い立ちました。そこで、まず水晶から計測を始めたところ、大きさや重量はマチマチであるのに、意外なことに面がなす角度はどれも同じことに気付きました。しかも、それは水晶だけではなく、他の鉱物結晶でも同じだったのです。こうして、ステーノは「同じ鉱物結晶の同じ箇所の角度は、つねに一定していて変化しない」という「面角一定の法則」を発見し、主観によらない鉱物の科学的比較法を初めて確立しました。
 
■錬金術と決別した新たな元素観
一方、ステーノと同じデンマークの医師・数学者バルトリヌス(1626~1698)は、当時、透かすと像が2重に見えることで不思議がられていた方解石の結晶について詳細な研究を残しました。彼もまた方解石の結晶の面がなす角度を計測して、それが一定であることを見出すとともに、方解石が摩擦によってコハクと同じように軽い物質を吸いつけること(静電気による)、酸に溶かすと泡立つこと(二酸化炭素の発生)なども実験によって明らかにしました。
彼はまた方解石の複屈折現象によって2重に見える像のうち、片方の像は方解石を回転させても動かないことも発見しています。この発見はオランダのホイヘンスを刺激して、光の屈折現象に関する重要な研究へと導くことになりました。
 
顕微鏡を製作してそれまで知られなかった微生物の世界があることを発見したオランダのレーウェンフック(1632~1723)、「ボイルの法則」で有名なイギリスのボイル(1627~1691)もまた、結晶学の確立に貢献した学者です。彼らは鉱物の結晶を化学的に考察することによって、ちょうど水溶液から塩が生じるように、多くの鉱物結晶もまた液体から形成されると考え、これを実験によって証明しました。


17世紀当時は原子の存在がまだ知られていませんでした。ドルトン(1766~1844)の原子仮説が発表されるのは19世紀になってからのことで、この時代の学者たちの物質観は、まだ古代ギリシャの四元素説(土・空気・火・水)やパラケルススの三元素説(水銀・イオウ・塩)に支配されていたのです。しかし、ボイルはこうした錬金術的な元素観に異を唱え、自然界にはもっと多数の元素があることを示唆しました。これは四元素説・三元素説では説明できないような新たな物質が見つかってきたことが背景にあります。
 


『参考資料』
http://hyoshimoto.html.xdomain.jp/2004BoyleMineral.html

いいなと思ったら応援しよう!