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長寿蔵ブルワリーミュージアム
兵庫県伊丹市にある酒造メーカーの博物館に行ってきました。明治時代に使われていた、レンガ造の窯や大きな酒樽が展示されています。
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見学していると、京都大学助教授の吉田先生が書かれた『日本技術史研究』の中に書かれていた一説を思い出しました。
伝統産業である酒造業ですが、酒造にたずさわる蔵人たちは、親方である技術指導者を中心として、軍隊組織のように厳しい規律にもとづいた命令系と階級組織によって成り立っていました。
親方の下に集う蔵人たちは工具の役目をするため、工具たる蔵人は、親方の肢体のごとく、意のままに自在に活動しなければなりません。そのために厳格な組織と体系が必要とされていました。
こうした共同作業の場合には、労働歌がともないます。(千と千尋のたたら場の女性達の掛け声のようなものです。)作業する人々が声をそろえて歌う労働歌は、作業過程を時間面で管理するという重要な働きをもっていました。親方はその唄の進み具合で、作業の進度を知ることができました。
今ならパワハラですが、こういう時代あっての美味しいお酒ですね。ありがたく頂かないと。