阪神電気鉄道
阪神といえば、阪神タイガースを思い浮かべる方が多い。阪神タイガースが勝てば甲子園駅を出発した車内では、「六甲おろし」の大合唱やバンザイが続く。もし負けたら、車内はお通夜のように静まり返る。
甲子園球場にやって来る観客の大部分が阪神電車を利用する。試合が終われば、それほど大きくない甲子園駅に4万人以上の乗客が押し寄せるが、臨時電車の巧みな運行で乗客をさばくのに1時間もかからないという。
その歴史を調べると、阪神の開業した1905年(明治38)当時、電車といえば数十人が乗ると満員になる小型車両で、路面電車が主流だった。都市間は国鉄の蒸気機関車と決まっていた時代に、阪神は大型電車を高速で走らせる日本初の都市間電車として登場した。
明治末期は、大阪―神戸間を80分で結んだのは画期的だった。それ以上に、10分間隔で運転して利便性を大いに高めた革新的な存在だった。
都市間を鉄道で移動しようとすれば、列車の時刻表を調べて何日も前から準備をするのが当たり前だった。思いついたときに気軽に利用できる電車の出現は、市民社会を一変させ、現代の都市交通の原型を作る存在と言える。
『参考資料』
https://amagasaki.keizai.biz/photoflash/358/
https://ja.wikipedia.org/wiki/阪神1形電車