クリミア戦争で国家的事業となった天気予報
ヨーロッパでは、すでに17世紀中には気圧が低くなると天気が悪くなり、高くなると良くなることがわかっていました。
1820年になると、気圧の分布と移動がわかれば天気予報が可能になると考えられ、1820年にドイツのブランデスが、1783年の1年間の天気図を作成した。それが、世界最初の「天気図」となります。
1854年、クリミア戦争のさいに、フランスの軍艦が黒海で急な嵐に遭遇して沈没する事故が起こる。これを機に、天気を事前に予知することが国家的事業と考えられるようになり、1863年にフランスでは天気図が作成されるようになった。
日本の明治政府も天気図の作成には熱心で、1883年には天気図の作成がなされている。1930年以降、気球による観測網を充実させた。現在は気象衛星を用いて広域の気圧配置と移動の予測が可能になった。広い範囲の天気の変化を予測しながら、安心して生活できるようになってきている。
『参考資料』
https://news.1242.com/article/439862
https://www.sonpo.or.jp/about/anniversary/pdf/ybja-ez-237.pdf