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【技術史】ルイ14世の欲望が作り出した、マルリーの揚水設備


 
17世紀、フランスの王位にあったルイ14世は、巨大なものが大好きな王でした。1661年8月、王がボールビゴント城に招かれた時、城を見下ろす丘から見た庭園の噴水の見事さに魅せられ、自分の城にも壮大な噴水を作りたいと思うようになりました。王がパリ中心から19km離れたベルサイユにあった父ルイ13世の狩猟用の館を城に改造するとき、ここに王の権威を象徴するような噴水を作る決意をします。
しかし、噴水に最も大切なものは水源ですが、ベルサイユ宮殿の地は丘の上にあり、水の便がよくありませんでした。王は壮大な噴水建設のため、あらゆる手段を講じるようになります。
 
【策1】
 水源として城から数百mのクラニー池を利用しましたが、池の水位が宮殿の土地より20m低かったので、宮殿と池の中間にポンプ場を作り、水を塔の上の貯水槽に汲みあげ、そこから重力流で噴水に水を送り込みました。(当時のポンプの動力は馬、風車、水車のいずれかでした。)ところが、クラニー池の水は湧水の量が不足し、わずか30分しか噴水が出ませんでした。そこで、王が通りすぎるときだけ作動させる苦肉の策をとりました。しかし、王はこれに満足しませんでした。
 
【策2】
 次に考えられたのが、城から4km離れたビーグル川の水を風車の動力で運ぶというものでした。そのためには、川からは40m以上水を上げる必要がありました。長い連続したチェーンに多数のバケツを取り付け、風車がチェーンを巻き上げ、川の水をくんだバケツが風車の軸を乗り越えたところで、バケツを横倒しにし、水を貯水槽に投入させます。このような風車を直列4基連ねて、川の水を40m運びあげ、一番高い貯水槽から城まで水を重力流で流し、城の10箇所の噴水から水を吹き上がらせることに成功しました。
 しかし、風車はよく故障し、風が吹かないと風車が回らず、この方法も失敗に終わりました。
 
【策3】
城の近郊に雨水を貯める15の人工池を作り、それらをつなぐ水路網を整備して、重力流で水を城へ運びました。しかし、これも雨が降らないと水不足になりました。
 
【策4】
雨が降らなくても水を確保できる方法、ルイ14世は城の8km北方を流れるセーヌ川に目を付けました。それは不可能と思われる案でした。最大の難関は、距離よりも160mの丘を越えねばならないのです。ルイ14世はコンペを催し、フランス中から知恵を募りました。起業家で、チャレンジ精神旺盛な青年、アーノルド・ド・ビルは、水車で駆動するポンプで丘を超える案を、モデルを使って王に説明しました。王はこの案が気に入り、ベルサイユへの給水設備の建設を彼に託しました。
160mの高さまで一気に水を揚げるのは、ポンプ能力、管強度、フランジ継手の気密性において、当時の技術ではできないと考え、ド・ビルは約50mずつ3段に分けて水を上げることにしました。河畔と丘の中腹に計3箇所のポンプステーションと、丘の中腹には水槽を設けました。ポンプを駆動するのは直径12m、幅1.4mの水車14台、巨大な水車はセーヌの川幅の半分を取りました。
水車の回転運動を先ず水平の往復運動に変えるため、水車の車軸両端に駆動用クランクが装備され、さらにクロッシング・アーム、ロッキング・アームを介して、垂直に往復運動する複数の小型ピストンポンプを動かしました。

 


(河畔ポンプステーションとポンプの構造)
 
丘中腹にあるポンプステーションに動力を伝えるには、ロッキングアームと「連結桿」という長いロッドが使われました。
 


(丘のポンプステーションへの動力伝達構造)
 
4年の歳月をかけ作られた巨大な設備は、当時のガイドブックにも載り、観光名所となりました。しかし、水車の羽取り付け部の不具合、回転むら、故障が絶えず起きたため、給水量は期待の1/3程度しか得られませんでした。
 


(セーヌ川からの揚水設備全容)
 
【ルイ14世最後の策】
 王は何としてでも、何百もの噴水を同時に作動させるに必要な大量の水を確保しようと、最後の策にとりかかります。
 それは、ベルサイユの西を流れるウール川の流れを80kmの距離にわたって変え、ベルサイユ宮殿の近くまでもって来ようというものです。工事には兵士を主体とする3万人以上の労働力が投入されました。このプロジェクト最大の難関である、広くて、深いマントノンの谷を超えるため長さ5km、高さ70m(23階建て相当の高さ)、3段積みとてつもない水道橋の建設にとりかかります。
 
しかし、高さ26mの1段目の橋ができたところで、コレラが流行し、多くの犠牲者を出します。そこで工事を速めるため、できた1段目の橋の上に、多数の鋳鉄管を並列にならべ、逆サイホンで谷を越す案に変更して工事を進めました。しかし、工事開始の3年後、1688年、フランスはヨーロッパ諸国との戦争に突入し、工事は中断。戦争は9年続き、フランスの国庫は底をつき、ルイ14世の挑戦は完全に失敗に終わり、廃墟となった1段目の橋だけが今に残りました。
 

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