落語 肝が据われば 腹も立たねぇ

枕 「随分とご無沙汰をしてるような感覚になります。三週間に一遍のこの講座であります。桜の季節も過ぎてしまいましたねぇ。「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」なんて歌を松尾芭蕉も詠っております。過行く春に鳥は悲しく啼き、魚は目に涙をためてその春を見送るのでしょう。春と言うのは旅立ちの季節でもあります。幼稚園から小学校に上がり、小学生は中学生へ、これも一つの別れであり、旅立ちであります。まだまだ、小さい背中に大きなランドセルを背負う姿なんてのは一入の思いでございますね。
皆さんの中にも、そんな思いをした方々もいるんじゃないでしょうか?私自身も仲の良い近所のお子さんの成長を毎日見ております。ええ、知り合いのお子さんがね、今年から小学生だと。小さい頃から見ている子ですから私もなんだか、考え深く、心を打たれたものです。
旅立ちの季節、今よりもずっと昔は旅に出る事は命がけだったなんて話があります。そりゃそうでしょ。移動手段は徒歩か籠か、歩いて回るのが普通でしたからね。そんな旅立ちを迎えるお話でございます。

弥七 「それじゃぁ、おっかぁ、おりゃそろそろ行くでよ。おっかぁも元気でな。」

農家の一人息子弥七は江戸で勉学を学びたいと兼ねてから願っていたが、代々農業をやって来た父親とは半ば縁切り状態での旅立ちとなってしまった。

母 「あんた・・本当に行くのかい?」
弥七 「ああ、俺は色んなことを勉強してぇんだ。やっぱり・・おっかぁも反対かい?」
母 「・・・・いいや、私はね、あんたのやりたい事を応援したいと思ってる。でもね・・」
弥七 「おっとうか・・・今、分かってもらうのは難しいかもしれねぇな。ちゃんと勉強して、いつか帰って来た時に無駄じゃない事を・・・」

そこで、朝から畑に出てきた父親が、畑から戻って来た。一瞬、息子の顔を見るが、すぐに目をそらす。

父 「なんだ。まだいたのか?お前は今日から親でも子でもねぇ。帰ってくる場所なんかねぇんだ。とっとと出ていけ。」
母 「あなた・・・」
父 「おっかぁ。腹減った。どこぞの他人さんに構っている暇があったら飯の用意しろ。」
母 「あなた。そんな言い方ひどいんじゃありません?」

あまりに母親が泣くもので、父親も居心地が悪くなる。どかっと畑荷物を下ろすとその場で胡坐を掻いてしまう。

弥七 「おっとう、本当に認めてくれねぇのか?俺が勉強して帰ってきたらこの畑も変わるかもしれねぇ。毎年毎年、ぎりぎりの収穫しかできねぇこの畑ももっともっと収穫できるようになるかもしれねぇ。」
父 「ふん・・お前の浅知恵なんか当てにしてたまるか。こっちはご先祖様から教わったやり方があるんだ。そんなにこの家が嫌ならとっとと出ていけ。この裏切り者」
弥七 「俺は裏切ってなんかいない。この家の暮らしをもっと楽にしたいから・・」
父 「(遮って)おめぇみたいな子せがれに心配してもらうほど落ちぶれちゃいねぇ。偉そうにモノ言ってんじゃねぇ。」
母 「あなた・・・そんな言い方ひどいじゃありませんか。」

この父親はどうも、母の涙に弱いらしく、母が泣く度に居心地が悪くなる。

弥七 「おっとうは怖いんだろ?新しい事学んで、今までのやり方が間違っていた事を知るのが。」
父 「なんだとこのガキ!言わせておけばいい気になりやがって!」

と泥だらけのまま、父親は弥七に掴みかかる。農業生活うん十年。足腰は頑丈で腕力もある。ドカーンと弥七を投げ飛ばす。投げ飛ばされた弥七も頭に血が上っているものだからすぐに立ち上がり父親に掴みかかる。どったんばったんと家じゅうの物を倒しながら親子喧嘩は激しさを増す。

母 「やめて・・・やめてぇぇ」

母の悲痛な声に気付いたのは父であった。掴んでいた弥七の胸倉を投げ捨てるように離す。弥七はその場で胡坐を掻いて、息を整えている。

母 「もうやめてください!こんな事が続くようでしたら私も出ていきます。」
父 「かかぁ・・それは酷い。」
母 「何が酷いもんですか!親子がこんなに大喧嘩するような家にはいられません。お父さんも弥七の事が心配なら心配って口に出して伝えたらいいじゃないですか!」
弥七 「何言ってるんだおっかぁ。おっとうが俺を心配だなんてする訳ないだろ。」
母 「弥七、あんたもあんたよ。たった一人の息子を心配しない親なんかどこにいると思ってんだい。」

お互いに何となく気まずい様な空気が流れる。父親もここまで言われてしまうと、今までのぶっきらぼうも何となく恥ずかしくなってくる。

父 「ああ!分かったよ!俺ゃ、おめえの事がかわいくてしょうがねぇんだ。江戸見てえな所で、ちゃんとうまくやっていけんのか心配で心配でしょうがねぇんだ。」
弥七 「おっとう・・・それでも俺は向こうでちゃんと勉強してぇんだ。帰ってきたら絶対楽させてやっから・・・行かせてくれ。」

弥七は頭を土間に擦り付け、懇願した。

父 「わかった・・おめぇもいつまでもガキじゃねぇ。やりたい事やってこい。」
母 「あなた・・・」
弥七 「おっとう・・もう怒らねぇのか?」
父 「ああ、腹決めた。おめえがやりたい事あるんなら、ちゃんと応援してやんのも親の役目だ。」
母 「漸くあんたも肝が据わったね。」
父 「ああ、肝が据わったんだ。もう腹も立たねぇだろ。」

AKR創作落語
「肝が据われば腹も立たねぇ」
でした。


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