視えるか感じるのか良く分からない者に僕らは動かされている#2

#2 呼び声
【山廻の衆】
 その昔、四国のとある山中に又吉という盗賊を束ねる頭領がいた。又吉は毎晩のようにその峠を通る人間を男ならば身包みを剥いでは殺し、女であれば老若問わず、身包みを剥いではいたぶり、犯し、殺した。欲望のままに動いていたその盗賊も、ついにある夜、町の役人に追われる日が来る。手下はその場で次々と打ち取られ、又吉は必死に一人、山中を逃げていた。山の事ならだれよりも詳しい。そう自負があった。役人の追っ手をまき、山中で息をひそめ身を隠す。明るくなる前にこの山を抜けよう。又吉が根城にしている山はまだいくつかある。今度はそこで獲物を捕まえよう。草に隠れ、様子を伺っていた又吉だったが、そんな時、目の前にうら若い綺麗な女が通る。頭ではわかっている。そんな事をしている場合ではない。すぐ近くに役人がいる。隙をついて、この山を抜けなければならない。しかし、今の今までやりたい放題で生きてきた又吉に【自制】と言う言葉はなかった。又吉はその女を襲うことに決める。女の抵抗もむなしく、いたぶられ虫の息になった。女は今にも消え入りそうな声で言う。
「この恨みは忘れませぬ。その魂を永劫の闇へお連れしましょうぞ。」
女の顔はゆがむ。いままで、何人もの女を犯し殺してきた。恐怖の表情を浮かべ又吉は命とともに果てる。しかしこの女は違う。初めて感じる恐怖に又吉は女の首を刎ねた。女の首は転がり、又吉に目を合わせるように止まる。
「ひ……」
又吉は驚き刀を落とす。その落とした自らの刀で自らの足を切る。
「クソッ」
又吉は足を引きずりながらその場を後にした。それからだった。又吉の体に異変が起きだした。毎晩のように殺された女たちの姿が見える。夢なのか現実なのか分らぬ位意識が混濁する。熱に浮かされ、いつしか立ち上がることすらできなくなる。寝たきりになった又吉は七日七晩、体中の体液を吐き散らしその命をおとした。後に発見した町の者も「自業自得だ。」「これでもう、安心だ。」など口々に喜んでいた。が、これで終わることはなかった。又吉が死んでから失踪事件が相次いで発生した。町の人たちは又吉の祟りだと恐れたのだった。
又吉は自らが殺めた怨念によりその命を落とした後、苦しみから解放されたその魂は自らを呪った怨霊達を取り込んだ。生前の欲望は苦痛から解き放たれたことにより、より強力になっていった。自らが取り込んだ魂を従わせ山を廻る。罠を張り獲物を狩る。一つの狩りが飽きればまた次の山へ。何に呼ばれるのか誰も分かりはしない。彼らは廻る。山を廻る。
その怨念の塊を【山廻の衆】と呼ぶ。

夏がもうすぐ終わる。長かった梅雨が明け、今までの遅れを取り返そうと太陽は焦り地面を焼いていた。タイミングを合わせたように木々には蝉が止まり、こちらもまた遅れを取り戻そうと必死で求愛のシグナルを発している。時期をずらし出て来るはずだったのだろうが、長雨の所為で時を同じくしてしまった蝉。団塊の世代よろしく、多分あそこでは生存競争が始まっているのだろう。そんな事を思いながら、公園の前を通り過ぎた。
 照り返しの強いコンクリートジャングルを歩きながら、いつもの雑居ビルへ向かう。四谷の寂れたビル群のより一層古びた雑居ビル。一階に入っている本格インドカレー屋からは、香辛料の香りと、独特の香の香りがする。すぐ上の階の怪しげなマッサージ店の異国の女性従業員と異国のカレー屋の店主が楽しそうに店先で話している。ここだけを切り取ると、東南アジアにでも出かけたのかと錯覚するほど、アジアが詰まっている。
「あんた元気ないね。マッサージ受けてカレー食べたら一発よ。」
カレー屋の主人がちょうどビルに入る死にそうな顔の神谷に気づき声をかける。それにつられ、カラカラと異国の女性は笑う。神谷は思う。そんなに親しかったっけ?と。カレー屋には過去に一回行ったか言っていないか。まぁ、同じビルの人間だし、何よりも熱い。そんなことはどうでもいい。
「今度ね~」
視点も定まらぬ、赤く茹った顔で神谷は応える。駅からも少し離れたこの場所に来るまでに神谷は死んでいた。上からも下からも太陽に焼かれ、自分が遠赤外線の魚焼き機か、はたまたオーブントースターにでも入れられたような感覚であった。やっと入り口に入り、直射日光を避けることが出来たが、内包された熱はそうそう簡単に抜けるものではない。異国の店主たちを通り過ぎた時、店主の陰口と言うか軽口が聞こえる。
「あの日本人はもうすぐ死ぬね。」
それにつられ、女もカラカラと笑う。神谷自身もそう思う。これは通勤するだけで死ぬ事が出来る暑さだ。
事務所のドアを開けると、何やら宮本がバタバタと準備をしている。
「おはよ~ございまーす。」
神谷が挨拶をするとその返事より先に
「何をやってる出かけるぞ。」
と機材をまとめている無精ひげの男、宮本がいつも通り何の説明もなしに言い放つ。
「‥‥嘘でしょ‥‥」
嘘でも何でもない。神谷はただ単に出社しただけである。出社すれば仕事が始まる。営業マンは営業に出かけ、事務員は事務仕事を開始する。そして、記者は記者らしく取材に出かけるのである。
「もう昼も過ぎてるぞ。早く準備をしろ。」
神谷は思う。昨日、昼過ぎの出社でいいと言ったのは紛れもなく宮本だ。神谷もそれに甘んじたが、昼過ぎの炎天下を舐めていたのは否めない。神谷はカバンに入れていた、行きしなに最寄り駅で買っていたペットボトルに口をつける。案の定ぬるくなっている。
「ああ‥‥まずいなぁ‥‥」
宮本は最後の機材をまとめながら、何かに気づき、神谷をちらりと見る。
「車に積んどく。話が終わったら降りてこい。」
と、神谷の肩を叩き、機材を背負い、出て行ってしまった。
「話?・・えっ?何の話です…か…」
神谷が言い終わるかどうか、そんな瞬間に神谷は肩を掴まれる。この感触には憶えがある。肩を掴まれ過ぎて、それ専用の肩になってしまったのではないか?もしくは逆で、その掴むものは神谷の肩しかつかんでないのではないか?それほどにピッタリとフィットしたものである。
「宮本はどうしたぁ。」
不機嫌で三日三晩煮込んだような男は、この小さな編集部E.ENDオフィスの編集長である。小柄だか、無駄にガッチリとした体格、まるでプロレスラーにスーツを着させたような色黒体育会系の短髪の男である。
「今しがた出て行きましたけども…」
神谷はなんとなく、この場に居てはいけない気がしている。
「ああ、呼んできますよ。まだすぐそこじゃないですかねぇ?」
神谷がその場を離れようとするが動かない。ガッチリと掴まれた肩はもう、やっぱり、一生動かないのではないかと思うくらい動かない。
何度か自然を装い、その場を離れようと試みるが、編集長もその腕も微動だに動かない。神谷は空に向かって愛想笑いを浮かべる。
「じゃぁ、しょうがないなぁ。月刊怪奇ファイルコンビ相方、神谷くんでいいよ。ちょっとお話聞こうかぁ。」
丁重にお断りしたい気持ちをかみしめ、神谷はまた、上の会議室へと連れていかれたのであった。
「あぁ~まだ何にもしてないけどすっごい帰りたいですねぇ~」
まっすぐ吐き出た言葉を神谷の背中で聞いていた編集長はニヤリと笑い、
「いつかは帰れるさぁ…神谷君」
と言った。

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