「考える葦」であるために
人間は考える葦である、という有名な一節がある。
人間は一茎の葦のように弱い存在だが、思考によって偉大な存在となり尊厳を得られるという意味だ。しかし、私たちは本当に「『考える』葦」でいられているだろうか。
複雑な物事を手軽に理解しようとして、表面的な事項だけを見て単純化、類型化し、全体を把握しようとする思考は「タブロイド思考」と呼ばれ近年問題視されている。
ニュースのタイトルだけを見て分かった気になったり、血液型や家族構成を理由に他人の性格を決めつけたりすることなどが典型例だ。
この思考の問題点は、複雑な事情を鑑みず、自分のいいように解釈したまま一種の思考停止に陥っていることにある。
しかし実際、物事は様々な要因が複雑に絡まった結果であることがほとんどだ。キャッチ―な言説に便乗するのは簡単だが、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代と呼ばれるこの現代、面倒でも一度立ち止まって出典を確認し、自分の頭で考えることが必要ではないか。
葦には、たとえ踏まれても折れることなく起き上がり、上に向かって成長し続ける性質がある。
これから遭遇する様々な困難に対し、人生を通して得たことを糧に「考える葦」として屹立することが大切である。
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