みんなが生まれつきの才能だと喚くわけ。
突然だが皆さんはある業界、界隈で活躍している人たちをみて「いいなぁ、あの人たちは生まれつき才能を持っている人たちなんだろうなぁ」
とテレビやパソコンの前で思ったことはないだろうか?
私はよくyahooの記事のコメント欄やXのコメント欄に、憧れの人たちのもつ才能にひがみ、喚いている人たちをよく見る。
私も才能をとても羨み、自分が才能を持っていないんだとひどく落胆していた時期があった。
しかし、今になってふと、そこまで才能をうらやむことがなくなったことを実感し、ここに書いていかないわけにはいかなかった。
その理由として、才能がなくても活躍できるのではないかという希望を実感できたからだ。
どういうことかというと、活躍する人になるのに、才能が必須ではないことに気が付いたからだ。
努力。これがあれば活躍できる。そう実感できた。
時間を費やし、日々少しづつ取り組んでいく。
それだけで活躍することができる。
努力と聞くと、反射的に気持ち悪さを抑えきれず、吐いてしまう人もいるだろう。
なにせ、私は努力が大嫌いだったからだ。
いや誤解してもらいたくないので詳しく説明すると、間違った努力という意味を教え込まれていたことが気に入らなかったからだ。
物事に全力で取り組むことは好きだ。しかしながら、周りから努力しろ、努力してえらいねと言われることが嫌いだった。
努力という言葉には、苦しみという意味が含まれている場合が多いと私は思うからだ。
努力=苦しいという認識でいたのが、私が努力が嫌いだった所以だろう。
しかし今では、努力という言葉の認識を改め、努力が好きだ。
才能の話に戻ると、活躍している人は努力をしていないように見える。
それは、楽しそうに、キラキラして、生きているからだ。
活躍するということはそういう状態であるから当然だと思うが。。。
しかし、テレビ、パソコン(スマホでも、本でも何でもいい)に移る活躍している姿は、一過性のものである。
つまり生活している中での一部分のショットであるということだ。
それを踏まえて、なぜ世の中には才能をうらやむ方々が多いのかと自分なりに考えてみました。
それは、見えない部分を才能と称して納得しているからだと思います。
見えない部分を才能という言葉に収束させる。それで腑に落ちる。そうすれば自分が努力をする必要がない。
これだと思います。
以上
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