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現実をただ受け入れる 〈執着を手放す③〉

「もし前世や来世があるとしたら、今生はとてもユニークだ」

ある私の大切な人が、私に言った言葉だった。

その言葉は、波瀾万丈な私の道のりにもピッタリだと思った。
海外生活、兄弟の自死、家族の事故、大病、自然災害による避難、地方移住、旅行中の自宅被災、約1年の被災生活、尽きることのない出会いと別れ、数々のグッドタイミング…

過去に、たった一度だけ「不運ですね」と言われたことがある。
その時、初めて、
世間は私の体験群を不運と見なすんだ、と理解した。
しかし私は自分のこの数奇な人生にワクワクしているし、
一度も「不運」とジャッジしたことはなかった。
物事の事象は、全て必然で、必要だから起こっていると、そう感じているからです。

現実はただ受け入れる、それが唯一の打開策

物事の事象に、良いも悪いもないはずで、
良いとか悪いとかジャッジするのは、受け手側の捉え方が全てだ。
起こったことは本来、そのまま受け入れるしかないんです。
どう考えても「不幸」や「運が悪い」と思えることも起こる時は起こる。
でもそれが本当に不幸や不運なのかは、起こった本人の捉え方次第
そして現実を真っ向から受け入れた時、それはもう過去になる。
どんな事象も過去になったら、学ぶは学びとり、手放すだけだ。

例えば、私がガン宣告をされた時
その日は、自分はこれで死ぬのか?と本気で考え、頭が不安と恐怖で覆われた。
その時初めて、私はまだ死にたくないんだな、と認識した。
生検に癌細胞を出し結果待ちの1週間は生きた心地がしなかった。
でも私は幸いに、いくつもの選択肢が現れ、
「あなたは見つかってラッキー、あとは処置する前進あるのみ!」と
宣告されたその日に言われていた。
そこから始まる約2ヶ月の闘病生活は、常に「私に与えられた人生の休息」と捉えていた。
(どんなお年寄りも術後3-7日、最長10日で退院or転院させられます。私はいかにお局だったか、しかも自分で退院を懇願した稀有な例です)

今振り返れば、あの医師の言葉の数々が、今の私の価値観にものすごく影響を与えていることに気が付きます。感謝しか無い。
この経験は私を形作る上で、やはり必然だっただろうと思います。

幸せは不幸な顔してやってくる
私の大好きな信頼する先生がよく口にするフレーズ
私はその真意をいくつもの実体験で味わっています。

ジャッジしない、ただ受け入れる。
その姿勢が身につけば、何が起きても囚われることはない。
学びある人生のフィールドワーク


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