5月26日のことわざ日記
5月26日の一言は、
「忙中閑あり」
ぼうちゅうかんあり
という言葉です。
【意味】
どんなに忙しい中にも、わずかな暇はあるものだということ。
【詳しい解説】
「忙中」は、忙しいさなか。
「閑」は、暇の意味。
「忙中自ずから閑あり」ともいう。
故事ことわざ辞典より
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由来は安岡 正篤(やすおか まさひろ)の座右の銘、六中観(りくちゅうかん)だそうです。
忙中閑あり 「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」
安岡 正篤(やすおか まさひろ)
1898年(明治31年)ー1983年(昭和58年)
陽明学者、哲学者、思想家。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる。
ただ暇な時間は退屈で、忙しいばかりでは心を亡してしまう。
暇な時間というのは、忙しい時があるからこそ有意義に感じるものだ。
という、なかなか深いことを言っていますね。
六中観、他の五つも、どれも良いことを言っていました。安岡さんが著作で「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」というのも納得です。
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世の中、ためになる言葉だらけで、どれを心に留めておくか悩んでしまいます。
私も全てのことわざ、慣用句を覚えてはいられません。
安岡さんは、何を自分の軸となる価値観とするか、六つに絞れたんだな、と思いました。
忙しい時があるからこそ、暇が生きる。
どんなに忙しい時でも、わずかな暇はあるはずだから、その時間を生かして気分転換をする。
コーヒーを飲みながら一息ついて、仕事から思考を切り離す。
トイレで鼻歌を歌う。
景色を見ながら、背伸びする。
そんな情景が浮かびました。
ただ暇な時間は退屈というのは、小学生の頃の夏休みを思い出しました。
先日、映画「スタンドバイミー」をテレビで観たからかもしれません。
しっかり観たのは初めてでした。
子ども時代の、自由で、何をしたらいいか、あり余る時間。
映画自体は、なんというか、理不尽な自分の置かれた環境・状況、大人からの抑制。
本当の自分の気持ちをさらけ出すこと、それができる特別な友だち。
懐かしい、甘くない、汗くさくて酸っぱい気持ちになりました。
ロリポップの曲が明るく流れて、この映画の曲だったんだな、と知りました。
その映画を見たら、邦画の「少年時代」も思い出しました。
井上陽水さんの歌がまたイイんですよ〜。
もう予告動画だけで味が出てる。
スタンドバイミーも少年時代も汽車が印象的です。
心に残る映画には、余韻、音(音楽)、香り・匂いがありますね。
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二十八宿は「参(しん)」でした。
この日、生で皆既月食は見れませんでした。
諦めて早々にお風呂入って寝る準備。
まるっきり日常でした😅
この日は夕方5時半から次女の水泳教室があり、帰宅するのは夜7時になるので、出掛ける前に慌てて夕食のヒレカツを揚げていきました。
水泳教室の間、家に戻るのも距離と時間的に効率が悪いので、座って、ゆっくり教室の様子を見ているだけです。
その時間がまさしく「忙中閑あり」だな、と毎回思っています。
忙しい中のリラックス、気分転換、時間を上手に使いたいですね。
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時間といえば、「いのちのおはなし」。
いのちは時間。
若葉 都さんの記事から、絵本を買いました。(実は数ヶ月前に購入済でした)
時間を大事に使いたい。そう心から思える優しい絵本です。
若葉 都さんは、私のイメージでは、よい意味で媚を売らない、飾り気のない文章が好きなnoterさんです。
記事を読むと、なんだか安心するんです。
あ、私ってこういう価値観だったな、と思い出したり、考えさせられたり、時には反省したり。
ふらふらした心が、ストンと元の自分に収まる気分になる記事を読んだことがあって、それからずっと好きです。
いま、一日に読む記事は、私生活に影響がないようにかなり減らしてしまっているけれど、一度好きになった人は、好きなままです。
時々読んでは、その人らしさを感じて、文章から穏やかな日常を垣間見て、温かい気持ちになって。
怒りのような激情も、人を笑わせるユーモアも、毎日作るお弁当のような日常も、空想の物語も、noteを開くと、ドラえもんのどこでもドアを開けたようです。
いろいろな場所に、自分の気持ちを移動させられる。
noteを"ひみつ道具"と例えると面白いですね。
この記事を最後まで読んでいただけて嬉しいです💖
記事を読む間、あなたの「忙中閑あり」の有意義なひとときになれていますように🍀