4月16日のことわざ日記
4月16日の一言は、
「故きを温ねて新しきを知る」
ふるきをたずねてあたらしきをしる
という言葉です。
【意味】
昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。
また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること。
【詳しい解説】
孔子が述べた言葉で、『論語・為政』にある「故きを温ねて新しきを知らねば、以て師と為るべし」とあるのに基づく。
【由来・出典】
『論語』孔子(こうし)の論語第2章「為政第二」の
一節である「子曰、温故而知新、可以為師矣」より。
【書き下し文】
子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以って師と為るべし。
【口語訳(現代語訳)】
孔子先生はおっしゃいました。
「古くからの伝えを大切にして、新しい知識を得て行くことができれば、人を教える師となることができるでしょう」と。
*
温ねて(たずねて)
の読み方について
「温故知新」の訓読(くんどく)が載っている日本最古の文献は、14世紀の後半に成立した『太平記』だそうです。そこで「温」を"たずねて"と記されています。
※『日本国語大辞典』より
「温」の部分に関しては、中国でも複数の解釈が併存しているようです。
家にある漢語辞典で調べたら、「温」には、たずねる、ならう、復習する、よみがえらせる。という意味がありました。
*
新しいことだけを知っているだけではなく、まずは昔のことをよく学ぶことが大事だということわざです。
たしかに、新しいと思っていたことが、すでに誰かが見つけていたものだったら、労力の無駄ですね。
それに「新発見だぞー!」と騒いだら恥をかいてしまいます。
戦乱の世では、戦法、兵法などは地形に合わせていろいろ対陣の組み方があったでしょうし、
数学の方程式も、科学技術の発展も、昔のことをよく学び、そこから新しい知識を得た結果だというのは納得です。
白黒テレビ、からカラーテレビに、ブラウン管テレビがなければ、現代の薄型テレビにもならず、必要に応じてアナログからデジタルになり、
そういった技術の発展的なこと以外でも、差別をなくそう、これは差別ではないか?という視点、考え方は、昔を知るからこその、現代らしい変化なんだろうな。
でも、ことわざを調べて思うのは、何千年経とうとも、人の文学、精神論、生きる意味、正義と悪、などはいつまで経っても変わらないものだな、ということです。
どうして、賢くなり続けていそうなのに、人類は、いつまでも殺し合い、生きる意味を探し、豊かさに貪欲になってしまうんでしょうね。
人間ほど欲深い生物なんて、他にいないと思いませんか?
相田みつをさんの、
人間だもの。
それしか言葉が思いつきません。
人間だもの。
それが究極の答えなのかもしれないですね。
何がどう発展していこうとも、人は考え続ける生き物なんだな。
私も学び足りないだけかもしれないので、知ったかぶりの記事で恥をかきそう💦
*
4月16日の二十八宿は「牛(ぎゅう)」でした。
16日金曜日は無事、洗濯物が乾きました。良かった✨
二十八宿の大吉が当たったと思うとラッキー😆
夕飯は鯵のたたきに肉じゃがでした。
みなさん魚、さばきますか?
私、魚の半身はそれなりにうまくいくんですが、もう半分をさばくのが苦手です。
普段、生ゴミになるので、店で頭と内蔵はきれいにしてもらいますが、刺身で食べるなら丸のままの方が鮮度が良いと聞き、今回は家で初めからさばきました。
美味しかったけど、もっと早く魚をさばけるようになりたいです。
包丁の切れ味が悪いせいにしたくなる😅
*
この日の夕食後、次女の7本目の歯が抜けました。
上の右前歯の横の歯です。
14日に長女の歯が抜けたばかり。変なところで仲が良い姉妹です。
「ママ、歯がグラグラして抜けそうな気がする」というので、一気に歯をぐっと押したら、筋が切れた音がして、もう一押しでポロッと取れました。
もうね、無駄に優しくしても、変な緊張感と恐怖が増えるばかりなので、本人の「歯を抜きたい!」という意思を確認したら、容赦しません😝
私が娘たちの歯を抜くのも慣れたものです。
必殺歯抜き職人参上です😏✨
歯が抜けると、ドキドキからのホッとした顔、嬉しい顔が微笑ましくて☺️もう覚えてないけど、自分の歯が抜けたときの懐かしい気持ちになります。
息子は今月の終わりに6歳。背も118.5センチなので、次は息子の歯が抜けるかな🎵
必殺歯抜き職人の出番が続きそうです😏✨
*追加(別に読まなくてもいい、真面目なだけの話)
このことわざで、もう一つ思ったのは、人のことも、国のことも、それまでの人生や歴史・文化を知らずに今だけを見て、イメージを決めつけて語るのは良くないな。ということです。
親しくない人を、今だけを見て「あの人は頑固でどうしようもない」「人相が悪いから、悪人に違いない」「ニコリともせず愛想がない」と決めつけるものではないと思います。
自分のことをよく知る人から言われることなら、身に染みますが、親しくもない人から、ほんの数分の会話で「あなたはダメな人」と決めつけられたら不快です。
逆にすぐに「あなたは素晴らしい」「いつも朗らかで、悩みなんてないだろう」と思われるのも違いますけどね。
人を褒めるにしろ、嫌うにしろ、親しくなり、今までの人生を多少は知った上で、今のその人を見たいものだな、と思いました。
人の人生は「故(ふる)きを温(たず)ねて」ほど昔ではないですけどね。
過去があるから今がある、それは変わらない事実なので。
人でなく、国を語るならなおさらです。
日本人は阿吽の呼吸や、空気を読む、以心伝心など、人の気持ちを察する文化があるけれど、海外では理解されにくいですよね。
でも、相手の気持ちを思いやる文化だと言えば心細やかな感じがします。
国単位を語るなら、簡単にこの国の人はこんな性格の人たち、とまとめずに、その国の成り立ちや文化、宗教、思想を知った上で話さないと、相手に失礼なことはたくさんあるんだろうな、と思いました。
自分の国の歴史も思想も、簡単に「そんな感じでしょ?」と分かったつもりで言われたら、どの国の人も嫌な気分になるでしょうしね。
だから、民族紛争に他国が関わっても、なかなか上手く解決しないのかな。
温故知新で、だれか、争いと飢えのない世の中にする方法の知恵を、まとめてくれていたら良かったんですけどね。
だれもその方法は見つけられていませんね。
それも人間世界の永遠のテーマなんでしょうね。