箱庭の灯
久しぶりにどん底にいた数日間、それでも這いつくばって彼の音楽を浴びに行った。
そういえば、前回もどん底の中、彼の箱庭に足を運んだな、とふと思い出した。
思えば、私はずっと、彼を同じ人間だと思っていた。
私は、生きることに理由を探すような子供だった。
何か目標がなければ、目指すところがなければいけないと思っていて、
それがない自分は生きている価値がないとも思っていたし、
人に、社会に、地球に何か貢献できることこそが生きる意味だと思っていた。
でも、それはあまりにも苦しすぎて、そんなこと私以外に誰も経験してほしくないと思っていたから、子供が欲しいと思ったことがなかった。
この世を上手に生きるのはあまりにも難しいし、私もその術を知らない。
私なりの答えもないから、当たり前に教えることもできない。そんな状態で、まだ姿形のない愛おしい我が子をこの地獄に生み落とすわけにはいかなかった。
ずっと絶望の中で、地獄の中で、希望と光と生きる理由を探していて、でも見つからなくて、それでもなお、何かに抗いながら、少し妥協をしながら、私はこれまでを生きてきた。
彼もきっとそんな風だろうと勝手に思っていた。
同じような地獄を感じながら生きているのだろうなと。
(他人のことを評価する行為自体、烏滸がましいのは自覚しているので、見逃してほしい。)
初めてそうかもしれないと思ったのは、バースデーと出会った時。
きっと誕生日用のケーキ、それが諦めの味だなんて。
吹き消すくらいなら焼き尽くせだなんて。
初めて出会う意味を持つ言葉だった。
私なりの解釈を持ちながら、彼の言葉遣いに、途轍もなく惹かれた。
いつかを境に、いろいろなことに支えられながら、
そして間違いなく彼の言葉たちにも支えられながら、
段々と呼吸をすることが苦しくなくなっていった。
生きる苦しみが幾分か減り、生活を重ねて、言葉を重ねて、自分の輪郭がはっきりしていくような日々が愛おしいとさえ感じるようになった。
どれも大好きなうた。その中でも特に好きな言葉を並べてみました。
改めて歌詞をきちんと読みながら、彼自身やあるいは大切な誰かを想って綴られた言葉だからか、ずっとずーっと苦しかった。
でも、間違いなく相手(もちろん、彼自身も含め)がいるから綴られた言葉たちが、愛おしくて仕方なかった。
箱庭の灯で歌ってくれた曲もあって、彼がこれでもかってくらい気持ちを込めて歌うものだから、なんとも堪らなくなった。
私たちに向けて歌ってくれてるみたいで嬉しかったし、この言葉に意味を持たせて届けようとするから愛おしかったし、その意味を想って苦しい気持ちにもなったし、とにかく、なんとも堪らなかったのだ。
今回のライブで、彼の好きなところがいくつか増えた。
そのひとつをどうか綴らせてくれ。
曲の途中で、倒れてしまった方がいた。
周りの方達が協力して彼に伝えて、セキュリティの方々も助けてくれて、そのあとの彼の言葉。
「ここでやめないから。続きますから、音楽。
安心してください。
僕のままでここにいるから。どうか、あなたのままで。最高の共演しましょう。」
ほぅっとため息が出てしまうほど、込み上げるものがここにある!!!!!
どうか無理せず、あなたらしくここに存在してほしい。これ以上の愛があるのだろうかと震えた。
きっと、私たちのためにロックスターでいることを誓った彼らしいな、大好きだなと思った。
(これは私の解釈だからね。)
でも、どうか、私たちのために自分でいることをやめないでほしいとも、心から願った。
(きっと彼は分かっている。だから、本当に彼のままであの場に居てくれたんだろう。)
最後、「箱庭の灯」の前に彼が話してくれた。
箱庭の灯というツアータイトルは、箱庭療法という心理療法から取ったこと。
自分がしていることは限りなくそれに近いこと。
彼はこの音楽を、彼の"箱庭"を通してだんだんと自分の形がわかっていく感覚があること。
そして、私たちひとりひとりにも、その自分の形がわかっていくような、箱庭と呼べる何かがあること。
彼の願いは
その、それぞれの箱庭の真ん中でぼんやりと光っている灯りが自分自身であることを、私たちに気づいてほしい、思い出してほしいこと。
(本当にたまにでいいからと言っていた気がする。)
彼が救われるためだったものが、私たちを救ってくれたら嬉しいこと。
あなたたちを救えばいいと言われて、一瞬絶望した。
同じ絶望の中にいると思っていた彼にそんなことを言われたら、私はどうすればいい?
誰かを救いたいと思っている彼と、私が同じわけがない。
私はあまりにも愚かではないか?
でも、本当に一瞬で終わった。
その瞬間まで彼がこれでもかってくらい想いを込めて歌ったメロディと言葉たちに救われてきたこと、私も誰かを救おうとしていたこと、誰かを守りたいと思っていたこと、誰かの生きる理由でありたいと思ったことを思い出したから。
その、どん底にいた数日間、こちらの彼と電話をした。
大切な親友である彼が落ち込んでいたこの時、私は彼にこう言ったらしい。
「どうか、私のために生きてくれよ、
私のために幸せになってくれ。」
いや、強すぎないか????????
なにを生きる理由になろうとしてるんだ。と思った。
そのとき、私は本当にどん底にいたから、
もう頑張れない。どうやって頑張ったらいいかもわからない。とにかく私の話を聴いてくれ。そんなことを彼に言った気がする。多分。
そうしたら、彼がこんな言葉をくれた。
「君が、私のために幸せであれと言ってくれてから、たくさんの人の幸せを願えるようになった。落ち込んでいる同僚にも、恋人と幸せそうな親友にも、みんなに幸せであってほしいなって思ったよ。
そして、今は僕のために君に幸せであってほしい。」
泣いた。
彼の幸せを願った自分が強すぎて。
バレバレなほどの照れ隠しだね。
本当は、
彼の愛情があまりにも、あたたかくて。
私はいつまでもきっと彼の幸せを願っているし、どん底にいるときは手を引っ張って引き上げたいし、
どうしても無理なときは私を生きる理由にしてほしいのだろうな。
ああ、よかった、私はまだ生きていける。
そうして、ようやくどん底から這い上がって来れた。
Teleと、彼のおかげ。
きっとまた、どん底に落ちる日が来るだろう。
そんなこと分かりきっている。どうせまた波は来る。
でも、だんだんとその波にも慣れてきているし、
落ちたあとに這い上がれることも知っているから、
だから私は生きていける。
最後に、
私は、ここが私の箱庭になるんだろうなと思っている。
Teleに「あなたにも箱庭と呼べる何かがあるはず」と言われて真っ先に思い浮かんだのがここだ。
今までは恋愛の話が多かったけれどそれだけではなくて、
仕事や家族、人間関係を通して綴った言葉が下書きに控えている。
ずっと絶望の中にいて、ひとりぼっちだなんて思っていたけれど、誰かと一緒に生きていることでしかこんな風に言葉を綴れないし、自分という人間を形作れないことを本当は理解している。
ああ、なんて幸せなのだろうな。
私は、言葉がどうか思ったままの意味を持って誰かに届くように綴っている。
そうして私の思考が張り巡らされたこのnoteで、あーでもないこーでもないと言葉を選びながら、新しい言葉を知りながら、徐々に私の輪郭をはっきりと、くっきりとさせていく。
たまに濃くなりながら、またぼんやりとしながら、そして手のひらを返しながら。
やっと、生きることが楽しくなってきた。
これからも言葉を選び、綴りながら、私の輪郭をなぞりながら、
幸せも、喜びも、苦しいことも、悲しいことも、
全部ひっくるめて生きていく。
(ライブ中の言葉や最後の「箱庭の灯」は何回も何回も反芻して必死に持って帰った言葉なので、実際に言った言葉とは少し違うかもしれません。悪しからず。)
2024.07.08
2024.07.18