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結婚相談所に行ってみた その13

僕が行った結婚相談所には、トライアル交際の次のステージとして、フォーカス交際というのがある。
トライアル交際では、今の僕がしているように、二兎でも三兎でも同時に追える、つまりは複数人と交際できる。
一方、フォーカス交際では一人の人に集中しなくてはいけない。一度に一人の人としかお付き合いができない。
それからその人と一緒に退会し、結婚を前提としたお付き合いを始めるか、それとも、お別れをしてパートナー探しを再び始めるか、選ばないといけない。
フォーカス交際はスキップして退会もできるが、この説明を受けた時から、このプロセスは必ず通ろうと思っていた。
この期間中に、ありとあらゆることを試して、お互いのことを確かめ合おう、と。
そのフォーカス交際をB子さんとしたい、と、B子さんと次に会った時に話そうと決めた。

「なるほどね」
Z君は、これまでの僕のB子さんへの好印象っぷりから、特にその決断に驚きはしなかった。
「で、大阪は?」
「行くよ」
「消化試合じゃねーか」
「親善試合だよ」
「サッカーはな。でも、F子さんはやめて、B子さんにフォーカスすると決めたんだろ? 大阪に行かなくても良いじゃん」
「・・・代表戦、観たいやん」
「関西弁やめろ」
「真面目な話、まだB子さんが俺とのフォーカス交際を承諾するかわからないからな。バックアップはまだ必要なのよ」
「バックアップって呼ぶのやめろ」
「まあ分からないじゃん。大阪遠征で逆転があるかもしれない」
「そりゃ、何が起こるか分からないけども」

結婚相談所に関する僕からの話は以上だった。
Z君はそれから、最近ランニングを始めたんだ、と言い、じゃあスマートウォッチをつけて、距離と心拍数を測ろうぜ、と提案したら、いや、そこまでしたくはないんだよ、いや、測ったらやる気になるんだよ、と言い合いをしばらく続けて、やがて電話を終えた。
「来週楽しみにしてるよ」とZ君は最後にいつもの言葉を添えた。

翌日、仕事を午前で切り上げた僕は、新幹線で大阪に向かった。
その車内で、F子さんが電話をしてきたので、席を立ってデッキに行き、電話を取った。
「W男くん、17時に弁天町のサイゼリヤに来れる? そこから、みんなでスタジアムに移動するから」
「オッケー。チェックインしてから向かうね」
みんなで移動、ということは、もちろんインドの中学生サッカーチームと一緒に行く、ということだ。
そのサッカーチームは、F子さんが引率する人たち、つまりはお客さんである。
F子さんのお客さんと行動する、ということがいざ目の前に迫ってくると、少し緊張してきた。
一体、僕のことをなんと紹介しているのだろうか。

最寄の駅に降りてから、僕は自分が泊まるホテルにチェックインした。
ホテル、と言っても、5階建てマンションが丸々宿泊用になった民泊である。
自分の泊まる部屋に入ってベランダに出ると、超高層ビルが天空にそびえ立っていた。階が上になるにつれて細くなる風貌は、悪の組織の本部と言われても納得してしまうだろう。
その建物が、F子さんが泊まるホテルだった。
駅直結の50階建て高層ホテル。僕が泊まる5階建のマンションとは、高さに天と地の差がある。
せっかくだから同じホテルにしようかな、とも思ったが、値段にも天地の差があったので、諦めた。
約束まで1時間ほど余裕があったので、軽くランニングをし、さっと着替えてサイゼリヤへと向かった。

サイゼリヤに着いてからF子さんにメッセージをすると、F子さんが出てきた。
「遠いところまでありがとう」と長旅を労ってくれた。
「いやいや、こちらこそこんな機会をありがとう」
「チェックイン、した?」
「うん、それからちょっと辺りを走ったりした」
「え、走ったの?」
「見た事ない景色ばかりだったから、楽しかったよ」
それから、F子さんが少し下を向いて何かを考えるようにしていたのもあり、若干の沈黙が流れた。
すると、コーチ陣と思われる男性が数人出てきた。
F子さんが、背の高い男性に声をかけて、僕の方に手を向けた。
「コンニチワ。アナンドです」彼は笑顔で僕に手を差し出した。
「初めまして。W男です」と僕は手を握った。
アナンドの日本語は割と上手で、顔もどこか日本人っぽさが混ざっているようだった。
握手をしながら、アナンドはF子さんに目配せをして、「これが、あの例の?」というような目をして、F子さんは「そうそう」のように、少し恥ずかしそうに頷いた。
「日本語上手ですね」
「私の母が日本人です」
「おお、なるほど」
それからF子さんが、「彼がチームの監督で」と付け加えた。
ああ、監督が日本に馴染みがあるから、インドの中学生チームがわざわざ日本に来たのか、と納得した。
他のコーチ陣とは軽く手を挙げて挨拶をすると、同じジャージの中学生っぽい選手たちが続々と出てきて、わちゃわちゃと笑い合っていた。
中学生にしては背が高く、サッカーも上手そうである。

ここから、20人規模の集団移動が始まった。
F子さんと僕が先頭を歩き、コーチ陣がその後ろ、そして中学生たちが最後に付いてきていた。
いたずらをしたり小突き合いをしながらゆっくりとついて来ていて、僕やZ君も中学生の時こんな感じだったな、と懐かしくなった。
駅の改札を通る前、F子さんが切符の束をコーチ陣に渡して、それを選手たちにも配り始めた。
「え、事前に買ってたの?」
「そう。2回乗り換えるから、それぞれの駅で。この枚数を買うのにも時間がかかるから」
「うわ・・・大変だな」
F子さんは自分の労力を理解してくれたからか、少し笑みを浮かべた。

ちょうど帰宅ラッシュにもぶつかり、電車の移動は大変だったが、その間、コーチ陣とサッカー談義に花を咲かせたり、中学生グループに電車を降りるタイミングを教えたり、充実した時間を過ごしていた。
コーチ陣との話で分かったのだが、どうやら、大都市ムンバイのサッカー好きなお金持ちが寄付を出してくれて、チームの財源になっているとのこと。
今回の遠征でJリーグの同世代チームと対戦し、勝ったりしているというのだから、大したものだ。
インドはサッカー不毛の地で、弱小国という立場だが、もしかしたらそれも近いうちに変わるかもしれないと、張本人たちと話をしながら胸を躍らせた。

そうしていると、無事にスタジアムに着いた。サムライブルーのシャツを着た人たちが沢山目に入った。
ここで、旅行代理店の担当者さんと合流してチケットを手渡してもらう、という手筈だったらしいが、どうやら見当たらず、F子さんが「もー、何やってん」と文句を垂れながら電話をかけてキョロキョロしていた。
この担当者さんが、僕が応援しているチームに所属していたという、例の元プロサッカー選手だ。
ついに会うのか、と少し緊張し始めた。
F子さんは「よく遅刻をする、ただの小太りなおっちゃんよ」と冗談を言った。
その担当者さんは、5分ほど待ちぼうけを食ってからようやく到着した。
そしてその見た目に僕は口が開いてしまった。
本当に小太りなおっちゃんだった。

担当者さんは、まずお客さんであるインドチームの元へと行き、「ごめんごめん」と笑顔で頭を下げながらチケットとお弁当を手渡していた。
僕の方にも来たら、「どうも」とチケットを手渡した。
「彼が、例のファンの」と説明すると、「ああ、そう」と担当者さんはバツが悪そうに鈍い反応をして、「ちょっと、他に待ち合わせている人がいるから」とキョロキョロしながらどこかに歩き始めた。
事前にWikipediaで調べていた情報によると、僕が応援しているチームに所属した3年間で、出場はゼロ。
その後、東南アジアのチームに行ったり、プロとは言い難い地域リーグのチームを渡り歩き、人知れず引退をしたようだった。
選手だったことはあまり触れて欲しくないのかもしれない。

チケットをもぎってもらい、スタジアムの中に入ると、その景色に鳥肌が立った。
緑の芝生を、煌々とした照明が輝かせている。
選手たちはすでにウォーミングアップを始めており、応援の声が鳴り響いて、日本代表の試合が行われるのに相応しい、特別な空気感が漂っている。
その様子を横目に見ながら、チケットに載っている席に向かった。
席にたどり着くと、「え、こんなに近く?」と声が出てしまった。僕たちの席は、ピッチから5列目くらいだった。
目の前にボールが飛んで来そうだと興奮気味に言うと、F子さんは、そうだね、とまるで慣れているかのような薄い反応をした。
席は、通路側から僕、F子さん、担当者さん、という並びで、僕たちの前2列がコーチ陣と選手たち、という具合だった。
席で写真を数枚撮ってから、僕はF子さんに「食べるもの、買いに行かない?」と声をかけて、2人で席を立った。

「あのね」とF子さんが切り出した。
僕たちは人混みをかいくぐって、出店の列に並んだところだった。
これまでのデートとは違って、F子さんの口数と笑顔が少ないのもあり、一体何を言われるのか、僕は少しドキッとした。
「インドチームの選手が何人か帰らなきゃいけなくなったからチケットが余ったんだけど、だからと言って代理店から無料でもらうことはできなくて・・・」
「え?」
余った、と聞いたから、すっかり貰えたものだと思っていた。
「わざわざ遠くまで来てくれたから・・・私が払ったから良いんだけど」
「ああ、ありがとう! でも全然払うよ」
「ごめん、そういう訳じゃなくて、ただ、無料でもらった、って訳じゃないから、SNSとか気をつけて欲しくて」
「もちろん。載せたりしないよ」
「ありがとう」
チケットには「9000円」と書いてあったため、現段階の僕とF子さんの関係で、相手にここまで払わせてしまったことに申し訳なくなった。
そしてさらに僕を心苦しくさせたのは、F子さんの様子だった。
あまりにも痛い出費だった、と思っているかのように、F子さんの声のトーンが低くてズーンとしていた。
いつもの可愛らしい元気な京都弁が鳴りを潜め、暗くて憂鬱な京都弁になっていた。

ここで僕は、F子さんのプロフィールに「年収:0万円」と書いてあったのを思い出した。
フリーランスだから年収を証明できないのだろうな、と思っていた。
仕事での移動やホテルでの宿泊をする姿しか見ていないので、生活レベルというか、財布の余裕さは想像すらできていなかった。
ただ、この様子を見ると、もしかしたらカツカツの生活をしているのかもしれない。
出店で僕たちの番が来て、「チケット代を出してくれたので、ここは俺が払うよ」と言うと、「あ、良いのに」というF子さんは反応した。
ただ、その発言とは裏腹に、安堵の表情が明らかに見えた気がした。

席に戻ってから夕飯を平らげると、選手が入場し、君が代を歌ってから試合が始まった。
前半、早速日本がゴールを決め、立ち上がって盛り上がった。
F子さんもようやく笑顔を見せた一方、試合に入り込んでいる訳ではないようで、そこまで興奮している様子はなかった。
ただ、後ろの席にいる子供たちが「〇〇選手!」と5秒に1回叫び続けたり、近くのおっちゃんがそれにツッコミを入れたりしている姿を聞いて、二人で目を合わせて笑ったりしていた。

その後、一進一退の展開で笛が鳴り、試合はハーフタイムに入った。
F子さんがお手洗いの席に立って、僕と担当者さんが残された。
これはチャンスだ、と思った。
「あの、F子さんから聞きました。元選手だと」
「ああ」
「選手を引退してから、今の仕事に就いたんですか?」
「そうだね」
「どうやって見つけたんですか?」
「現役最後が、京都の社会人チームで、そのツテでね」
「あんまり、選手を引退してからのキャリアってよく分からないので・・・すごく興味がありました」
「へえ、そうなんだ」
「ちなみに、今も連絡をとっている選手とかいるんですか?」
「ああ、ミツルとは今もよく連絡を取るよ」
「ミツルって、ええ、あのミツルですか! 仲良いんですね」
「他にも、同時期に入った選手たちとは今も繋がりがあるかな」
「ミツルの記事を最近見たんですけど、一番の思い出はうちの満員のスタジアムでプレーしたことだ、って言ってて、めちゃ嬉しかったですね。強いチームに移籍して優勝したりしたのに、それよりも、うちのチームでプレーしたのが一番の思い出、って」
「・・・まあ、おれは試合に出られなかったけど」
「あっ・・・」
話は見事に盛り上がってから盛り下がったが、僕の好奇心は満たされた。
今自分の横にいるこの小太りなおっちゃんが、少年の自分が目を輝かせて見ていたサッカー選手たちの横にいたことが、にわかに信じがたくて夢心地だった。
やがて、担当者さんの興味が僕に向けられた。
「今、結婚相談所で、F子と?」
「あ、はい」
「ふーん、まだ若いのに」
「まあ」
そう言う担当者さんは、左手の薬指に太めの指輪をつけていた。
「F子はね、すごく仕事を頑張るよ。まあ、プライベートがどうかは知らんけど」と言いながらガハハハ、と笑った。
すると、F子さんがお手洗いから戻ってきて、席に着いてから担当者さんと話を始めた。
口調からして仲が良いとは思ってたが、結婚相談所のことまで話すんだ、と少し驚いた。

やがて後半が始まった。
少し経ってから相手チームが一点を返して、スタジアムが静まり返った。
しかし、それから日本代表が攻勢をかけて、勝ち越し点への期待で盛り上がった。
そんな最中、B子さんからメッセージが来ているのが分かった。通知を見ると、「大阪盛り上がってるー? 三苫に替えて堂安なんて、そんなパターンあるんだね!」と試合に関する細かい感想を書いていて、クスッと笑ってしまった。

日本代表の攻勢も虚しく、試合は引き分けに終わった。
終盤の攻めは見応えがあったが、もっと早くからそれをやってくれよ、と嘆きもした。
選手たちが退場するのを見送ってから、僕たちも席を立ち、再び20人の大移動が始まった。
試合終了直後というのもあり、混雑がものすごくて歩を進めるのが難しかった。
苛立つことに、VIPと思われる黒塗りの車が優先的に会場を出るため、僕たちは足止めを食っていた。
警備員が必死になって通せんぼをし、人通りを遮っていた。
平民に公共交通機関を使うように呼びかけるのは、特権階級が車を使いやすくするためか、この世は階級社会か、と地下鉄にすし詰めになりながら思った。
そのことをF子さんに話したが、少し笑って「そうだね」と薄い反応だった。
途中、インドチームがみんなついてきているか不安になったが、F子さんは半ば諦めたように「きっと大丈夫だよ」と軽く振り返って確認する程度だった。
結構疲れが来ているのかな、と思ってあまり話しかけないようにした。

やがて無事に、インドチームとF子さんが宿泊するホテルに着いた。
時間はすでに22時半ほどになっていた。
ここで、部屋に戻るインドチームのみんなとお別れをした。
コーチ陣とは握手をしてから手を振ると、それを見ていた中学生選手たちも目を合わせて手を振ってくれた。
この短い時間に、彼らと心の繋がりが出来たことがなんだか嬉しかった。

彼らを見送ると、「W男君のホテルまで送るよ」とF子さんが言ってくれた。
「ありがとう」と僕は礼を言って、僕の宿泊先の方向に向かって歩いた。
明日は、ホテルとコワーキングスペースでリモートワークをし、夕方に新幹線で関東に帰るつもりなので、F子さんに会える時間はない。
正直、ゆっくりと今日の感想を言い合いたかったが、時間も遅いし、辺りには夜中まで営業している店もない。
また、僕たちはまだトライアル交際中なのもあり、僕が泊まる部屋に上がってもらう訳にもいかない。
このまま5分くらい歩きながら感想を言い合えばいいか、と思って諦め、駅から歩いた。
「今日、すごく楽しかったよ、会ったことないような人たちに会えて、日本代表も良い席で見れて」
「そう、良かった」
F子さんは視線を下にして歩いていた。何かを考えているようだったので、話はそこまで弾まなかった。
やがて、古いマンションの目の前に立ち止まり、「ここなんだ」と言うと、「え、ここ?」と少し驚いていた。
パスワードで入り口を開けるので、受付に人もいない。
F子さんが泊まってきたホテルとは、中身も外見も全く違うのだろう。
だが、そんなことは特段気にもせず、F子さんは顔を上げ、「ほんとはね、飲みに行ったりしたかったんだけど」と悔やむように言った。
それを歩きながら考えていたのか、と視線を下にしていたのも腑に落ちた。
「まあ、ここら辺、飲み屋とかないもんね」と僕はフォローを入れた。
そう言いつつ、F子さんが本当に悔やむような顔をしているのがわかった。
せっかく関西まで来てもらったのに、2人で過ごす時間がこんなに少なくて申し訳ないと思ったのだろうか。
それを見かねて、僕は名案を思いついた。
「じゃあ、F子さんの泊まる部屋で一緒に飲まない?」

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