シマノ鈴鹿ロードレース 5ステージ
参加までの経緯
8月のはじめ、北海道のインターハイでは補欠として全力でサポートに徹しました。続くツアーオブ九州は4日間5ステージという全国の高校自転車部にとっては一大イベントでしたが、所属高校が出場を辞退したため、完全に行き場を失っていました。そんなところ、シマノ鈴鹿ロードのお話をいただき、参加させていただくことになりました。
参加したのは高校2年のYAMATO。二日間で5種類の種目で行われる5ステージレースで、百戦錬磨の大人たちが参加するようです。シマノ鈴鹿ロードは、5年前のYAMATOが小学生のときに、2周クラスに参加しましたが、ぜんぜん歯が立たなかった気がします。3周クラス、5周クラスの人たちはどんなに速いのだろうと思っていましたが、いきなりクラスを飛び越してアマチュアトップカテゴリーへの参加となりました。
二日間、体と脳が飽和するような体験をさせていただきました。どこまで話したらいいかわかりませんが、とりあえず書いていきます。
1日目
四日市にある妻の実家に泊まらせてもらい、朝4時半出発。コンビニで氷や食料の買い物を済ませ、5時半にピットに到着しました。チームメイトは5名。はりちゅうのレースからたびたびお世話になっているMさんのチームです。
第1ステージ
フルコース5周 29.0km
ファーストステージのため、まずは慎重にレースを進めていきたいところです。
1周目、積極的に前でレースを進めました。
2周目、一旦中盤まで下がり、チーム監督Mさんの後ろにピッタリつけ、ヘアピンコーナー手前まできたところで落車が発生。そこへ突っ込んでしまいました。
結果 DNF
身体はかすり傷でしたが自転車は大怪我で、フレームがバキバキに割れ、ホイールも曲がっています。
落車のとき、身体と機材の両方が大怪我ということはあまりありません。どちらか一方が壊れます。今回は機材が身体を守るために犠牲になってくれました。
今まで良く走ってくれてありがとう。身体を守ってくれてありがとう。
YAMATOはショックで、何も考えることができず、話すこともできません。
YAMATOの車載カメラ
しばらくしてMさんが、「僕も落車で足を痛めたから、僕の自転車で残りのレースを出たらいいよ」そう言ってくれました。しかしMさんも乗れないほどの怪我ではなく、レースを楽しみにしているはずです。YAMATOは丁寧にお断りしました。
次に私が「愛媛まで俺の自転車を取りに帰ろうか?明日のレースには間に合うぞ」そう問いかけると、そんなことまでしなくていいと言います。
1時間が経ちました。
どうするか、どうしたいのか、決めなければなりません。
私「残りの4レース、どうするん?出たいん?出たないん?」
Y「出たい」
私「じゃーどうするん?」
Y「レースに出ない人か、予備車を持っている人がいて、もしその人が貸してくれるならそれで出たい」
私「それじゃーどうすりゃえん?」
そこで行動が始まりました。
レースに参加している友達に電話して、予備車を持っていないか聞いています。しかし残念ががらなかったようで、もう諦めていました。
私「今日は、いろいろなメーカーのブースがでとるけん、事情を説明して試乗車とかあれば貸してもらったら?俺が行って交渉しても面白くないけん、自分で行って交渉したらえーわい。ほとんど断られるかもしれんけど、1件ぐらいOKが出るかもしれんぞ。もし本当にレースに出たいならそんな方法もあるぞ」
そんなやりとりをしていると、Mさんから情報が入ってきました。
「さっき、僕の友達のしう君がYAMATO君の自転車見て、もし良かったら僕の自転車使ってくれたらいいのにって、話していたよ」
「レースに出場する」と決めて行動を始めると、不思議と周りの人は力を貸してくれます。どうしようか悩んでいるだけでは何も前に進みません。そして人の親切を申し訳ないからと断るのではなく、ありがたく頂戴することも大切なことです。これから先、上に上がっていきたいなら一歩前に出る勇気も必要です。
全て自分一人の力で勝つのは凄いことかもしれませんが、周りの人の力を借りながら成長すると、もっと凄いことになるような気がします。関わってくれた人に全力で戦っている姿を見てもらうと、きっとどんどん応援してくれる人が増えます。
そんなことがあり、自転車をお借りして、第2ステージ以降もレースに参加できることになりました。
しう君のツイッター
第2ステージ
個人タイムトライアル 東コース1周 2.2km
自転車をお借りしてから、スタートまで1時間もありません。
まずはペダルの種類が違うので変えなければなりません。サドル高も合わせなければなりません。それより心配なのは、シフトがスラムということで、今まで使ったことがないシフトの方式のようです。
それでもなんとかスタートに間に合いました。
結果 02'56".09 56位
第3ステージ
チームタイムトライアル フルコース4周 23.2km
各チーム10秒ごとに出走のため、かなり混雑します。
途中、隊列がバラけそうになりますが、なんとか走り切りました。
結果 0:31'04".39 9位
2日目
第4ステージ
東コース5周 11.2km
序盤から積極的に前でレースをしますが、イマイチ乗り切れていない様子です。落車の恐怖、借りている自転車ということもあるのかもしれません。高速スピードでの位置取りも初めての経験です。ちょっと油断すると70番手ぐらいまで一気に順位が下がってしまいます。
大人のパワーに圧倒されました。
結果 0:14'01" 36位 集団ゴール
第5ステージ
フルコース7周 40.6km
いよいよ最終ステージです。
スタート地点に向かいながら、チーム監督のMさんと打ち合わせをしているようです。
鈴鹿サーキットの走り方や位置取り、自転車にも少し慣れてきたようです。
レース中盤
Jプロでも活躍するような猛者たちからも、プレッシャーを受けるようになりました。同等のライバルとして見てもらえている証拠かもしれません。
そこから抜け出しを狙います。
最終ラップ
ラスト3km 40番手あたり
ここから、チーム監督Mさんによる芸術的な牽引が始まります。
YAMATOはMさんの後ろにピタリとつけ、少し離れた位置に総合を狙うエースがいます。
最終コーナー入り口
5秒前に二人の逃げ
1秒前に3位4位の同チームの選手
最終コーナーを曲がったところでYAMATO発射
前にいる選手も発射
3番手の選手が目の前に迫ってくる
表彰台に届くか
しかし、距離は縮まるが追いつかない
ラスト20メートル
脚は限界
両サイドから、一気に追い越される
結果 15位
最高のレースリードをしていただきましたが、力及ばずでした。
レース後、YAMATOは唖然としています。
「あそこまで完璧にひいてもらったのに・・・」
YAMATOの車載カメラ
やはり、このような平坦コースでは、スプリント能力がないと勝負に絡めません。これからの課題です。
レースを終えて感じたこと
チームの皆さんに大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
サーキットの走り方や位置取りはもちろん、精神的なことも多く学んだと思います。トラブルが起きた時、自分がどうしたいのか、そのためには何をすればいいのか、それを決めて行動を始めると、周りの人たちも協力してくれることも学んだと思います。それを素直に感謝して受け止め、これから恩返しをするつもりで行動すれば、きっと次に繋がります。
それとチーム監督のMさんは、精神的にも支えてくれました。落車した時の気持ち、機材を壊した時の気持ちとどう向き合えばいいか。「僕も落車して落ち込んでいるけど、チームで戦う上でこんな時、どういう走りをしなければならないか、僕も初めてです。こんなチャンス滅多にないので、最後まで勉強のつもりで楽しみたいと思います。」そんなことを聞かせてもらいました。
YAMATOもMさんと一緒にピットを歩いていると、いろいろな人から声をかけられ、人望の厚さも感じたようです。
そして何より最後の牽引は圧巻でした。これぞプロの仕事という感じです。YAMATOはその仕事に応えることができませんでしたが、Mさんのために力をつけて恩返しがしたいと誓ったようです。
最後に、ステージレースはいい経験になります。レース後の反省点をすぐに試すことができます。そしてレースの感覚を身につけることができます。特に若い選手は、どんどんステージレースに参加してレースの感覚をつけてもらいたいです。普段の練習だけではなかなか駆け引きを学ぶ機会は少ないものです。
でも、そんな連続したロードレースは日本にはあまりありません。高校生にとってロードレースは年に4、5回程度です。ステージレースとして高校生が参加できるツアーオブ九州とシマノ鈴鹿ロードは、夏休みということもあり重なっています。そのため、ロードレースの経験を積みたい選手はどんどん海外に出ていき、夏休みの1ヶ月で10レースほどの経験を積んできます。強くなってから海外レースに参加するのではなく、強くなるために海外レースに参加するという考え方もあります。どんなスポーツでもそうですが、試合は楽しいものです。
今回のシマノ鈴鹿ロードでは、言葉では言い表せないくらい、たくさんの経験をさせてもらいました。将来の宝物になるでしょう。
まだまだ今回のレースで学んだことが多くありますが、また機会を見つけて書いていこうと思います。
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