星を食べてみました(・∀・)
確かあれは小学生の頃…
【星】をテーマに
学校内にある図書館の図鑑などを見ながら
グループになった友達たちと
色々と調べたことがあります
その時…
自分が思い描いていた【星】と
図鑑に描かれている【星】の間に
あまりにも大きなギャップがあり
一体これは何なんだ?!
これらは本当の【星】ではない!!!
これらの【星】を調べても何の意味もない!
ナゼかこのように
強く強く思うことがあり…
自分の中で
【星】に鍵を掛けて閉じ込めた
よく分からない記憶があります
それから何十年経った今
1580年以来の442年ぶりの星食に
出会うこととなりました
【星】を閉じ込めた自分に
【星】の知識は全くありません
けれどせっかく出会えた軌跡
442年ぶりの星食を
カンタンにまとめていきたいと思います
もしも間違っていたらすみません💦
その時はご指摘いただけたらと思います(´-ω-`)
星好きの方やニュースや噂話などでは
442年ぶりの貴重なタイミングと
盛り上がっていましたが…
個人的には特に盛り上がることは
正直ありませんでした
ただ…
今回はきちんと【見るイイ機会】
これが自分の中に残りました
これは【星】を見るということではなく
【星】を通して【自分】を見て
【宇宙】や【存在】を捉えて
【自分】を捉えるということです
「また何か変なこと言ってる…(´-ω-`)」
Kiyoeのことを知っている方は
このように思うかもしれませんがwww
これは何か怪しいお話ではなく
わたしたちは本当に
宇宙の中に宇宙と共にあるという
当たり前なのにどこかに置いてしまっている感覚を
捉えられるイイ機会ということです
宇宙があまりにも
壮大過ぎて遠すぎると思い込んでいるがために
いつも目の前にあるのにスルーしている現実
しっかりと見るイイ機会です
閉じ込めた鍵を開けて
望遠鏡も双眼鏡もありませんが💦
スマートフォンを片手に
生まれて初めて星食と共に過ごしてみました
とは言え…
空を眺めた星のど素人は…
まずはこう思うのです
●そもそも星食とは…?
ど素人の自分には
まずはこのことから分かりません💦
一般常識かもしれませんが
一般的な道を歩んでいませんので
本当に分からないのです…(´-ω-`)チーン
長くなりそうな夜…
Wikipedia様によりますと
ある天体が別の天体の動きによって隠される天文現象
あは~( ̄▽ ̄;)…言葉ってサッパリ分かりません
自分の感覚では…
宇宙に存在しているのに
隠れることができるってどういうこと?
何を基準にどう隠れることができるワケ???
と反抗してしまいます
が…
地球基準ですよね、人間基準ですよね
人間の視覚基準ですよね
はい、すみません(´-ω-`)
話を星食に戻しまして
月食を例にとると
太陽の光る影に月が少しずつ覆われていき
太陽と地球と月が一直線に並び、
月全体が地球の影に完全にスポっとおさまった状態を
【皆既食】と言うそうです
つまり
地球を入れて3つの星が重なり合い
ひとつの星が覆い隠されて見えなくなることを
星食と言うみたいです
はぁー勉強になります
でもそれで今回は
どうしてそれほどまでに騒ぐのか…
●騒がれる理由
ひとつの理由として
日本がベストポジション!
見やすい時間帯!
❶水星食
❷皆既月食
❸天王星食
この3つの食が重なる!
【天王星・月・地球・太陽・水星】
この5つの星が整列する!!
皆既月食は有名みたいですが
この皆既食中に
惑星食(水星・天王星)が見られるのは
442年ぶり!
次は332年後の2344年の
土星食と予想されているとか…
とにかく貴重なタイミングが
いろいろと重なり合った
素晴らしいタイミングということです🎵
●実際の画像
久しぶりに夜空を眺め
スマートフォンですが( ̄▽ ̄)
色々とシャッターを押してみましたので
よければお楽しみ下さい🎵
あえて加工はせず
撮れたまんまの画像です
夜20時位からの時系列順・場所は東京です
天王星は肉眼で見ることも
撮ることもできませんでした
水星は太陽の光により
見ることはできないそうです
3重の食についての詳しい記事はコチラです⇩
ステキな情報をありがとうございますm(__)m
●個人的な感想
個人的に「何百年に1度」などのセリフに
惹かれることはないのですが
改めて宇宙という存在や
人間という存在、自分という存在…
動いていること
グルグルしていること
見るのではなく捉えるという感覚
人間の思い込み
重力や時空間など
様々なことに想いを巡らせることができ
また新しい感覚が芽生えた気がします
そして
「何百年に1度の天文ショーだからすごい」
「何百年に1度に出会えた人間はすごい」
こういう感覚こそ
脱ぎ捨てるタイミング…
だったのかもしれないと思いました
相手が例え宇宙であろうとも
大したことなどなくて
けれど
大したことであるとも決められる
ただ自分がそこにあった…
ちっぽけ過ぎる自分があり
ちっぽけに生きてちっぽけに死ねる
大きな自分がありました
改めて【感覚】というおもしろさに
どっぷりとハマった442年間でした
最後までお読みいただきありがとうございます