#092 『未熟』 娘に贈る99の言葉
できれば、非の打ち所がない人になって誰からも突っ込まれない完璧な人間になれたらよかった。
でも、私は完璧になれなかった。
これからも完璧にはなれないだろう。
今では完璧な人間でないことに感謝している。
もし完璧になっていたら人生に退屈していただろう。
私は未熟だ。50歳にしても伸びしろしかない。
しかもその伸びしろは、伸びしろのまま終わるかもしれない。
未熟な私だから、斜め上を見て歩いていける。
今日も1段だけ階段を上がる。1段上がってもまだまだ階段は続く。
人生のゴールは見えない。
おそらく、道半ばで人生を終えるだろう。
命尽きる直前まで目の前の階段を1段上がろうとしていられるなら本望だ。
未熟なまま人生を終える。
私が目指していることだ。
未熟でいると、人から指摘されるし、突っ込まれるし、イジられる。
何かを言われた時は不機嫌になってしまう。
だけど、何も言われなくなったら、私に指摘するところが一つもなかったら、おそらく私に面白みがなくなってしまう。
伸びしろは、その人の魅力。伸びしろは人間味でもある。
未熟が人の魅力を増しているのだ。
ただ、未熟でいることは辛い。
自分の足りないところを見るのは結構しんどいかもしれない。
「未熟なままでいいなんて言ってられない」と思う人もいるだろうな。
未熟であることを受け入れられるようになるには、未熟の中にある魅力を自分自身で見つけ出さなければならない。
『未熟=ダメなこと』と定義づけてしまったら、未熟な状態の自分を常に責めて生きていくことになる。
『未熟=人間味であり魅力』と定義づけ、未熟な状態を受け入れることはできないだろうか。
未熟であることで、伸びしろを自覚し、その部分を伸ばすことができたら、成長も感じられるだろうし、未熟ながらステップアップして自分のことを受け入れられることにつながらないだろうか。
無理に成長することはないけれど、もし自然に伸びしろを活用すことができたのなら、人生の醍醐味を味わっているともいえそうだ。
未熟な部分はこれかの人生の伸びしろであり、お楽しみが多いところなのだ。
そう思うと、未熟も悪くないと思う人が増えないだろうか?
って、日々思ってます。
2024.1.7
ばたち
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